『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ)
ぼくの関心事からいえば、「狩猟採集民の豊かな暮らし」に焦点を向けることになるが、ここから得られるものは少なかった。なにしろ、「彼らはアニミズムの信奉者だったとは思うが、そこからわかることはあまりない」。
しかし、農耕のところでははっとさせられることがあった。
農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民より一般的に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発とエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
これを狩猟採集民の方からみれば、
古代の狩猟採集民は子孫の農耕民よりも、飢えたり栄養不良になったりすることが少なく、一般に背が高くて健康だったことがわかる。平均寿命はどうやらわずか三〇~四〇歳だったようだが、それは子孫の死亡率が高かったのが主な原因だ。危険に満ちた最初の数年を生き延びた子供たちは、六〇歳まで生きる可能性がたっぷりあり、八〇代まで生きる者さえいた。
ということになる。
琉球弧では、10~12世紀にグスク時代に入ると同時に、島人はあれだけ熱愛していたサンゴ礁に背を向けるように農耕を開始する。サンゴ礁の神話空間が魅力的だっただけに、この琉球弧の南北の転換は不思議に思える。それこそ大和からの大量の移住者による強制があったと考えざるをえないと思ってきた。しかし、強いられるだけでまるで一斉に背を向けるものだろうか。そこが分からなかった。
著者によれば、このからくりはこういうことだったかもしれない。
農耕を行なうと急速な人口増加の条件が整うので、農耕民はたいてい、狩猟採集民を純粋に数の力で圧倒できた。狩猟採集民は逃げ去り、縄張りが畑や牧草地に変わるのを許すか、あるいは自らも鋤を手に取るかのどちらかだった。
島に逃げ場はない。それもあって約千年前に、一挙にとでもいうように狩猟採集は終わった。琉球弧でもグスク時代になると、人口が増加する。著者にしたがえば、豊かさというより、それが農耕というものだということになる。
著者は、狩猟採集の時代のことは、「沈黙の帳」が覆い隠しているとしている。そこに少しでも言及できれば、希望の少ないこの書の色合いは少し変わることになったのではないかという印象を持った。
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