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2016/12/11

手首内側の文様の消失

 三宅宗悦(「南島婦人の入墨」)が採取した徳之島の刺青デザインは、小原一夫のとは微妙に違っている。

Photo_3

 その違いは、これまでの考察に再考を強いるものではないが、小原の模写の仕方では気づかなかったことに思い至らせてくれる。右下の例をみると、手首内側の文様が小原の採取したそれより曲線的で縦の幅が薄い。それを補うように、その下には手の甲に似た文様が反復されている。しかし、気づかなかったのはそのことではなく、手首内側の文様のちょうど真ん中に「×」があることだ。(参照:「徳之島流刺青」

 これは与論島の「後生の門」、宮古島の「ウマレバン」と同じ位置にある。また、この「蝶」モチーフと同様の文様を持つ奄美大島にはこの「×」はない。「蝶」モチーフの文様に「×」は必須ではないから、徳之島の「×」は「後生の門」、「ウマレバン」と同じだと見なせる。

 そうやって見直すと、喜界島でも同様の意味を見出せる例がある。下図の真ん中の手首内側の文様だ。

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 残念ながら両者ともに文様の名は聞き取りされていない。しかし、「ウマレバン」あるいは「後生の門」と同等の意味を持つ名称だったのに違いない。宮古島と与論島にしか残存を見出せなかった「ウマレバン」(「後生の門」)はやはり他島にも存在していたということだ。

 このことは、文様のデザインや配置の仕方に独自性を見せる徳之島も、勝手気ままに描いたのではなく、原則を重視していたことの傍証でもある。

 貝からの誕生を刻印する「ウマレバン」と、他界への入口を示す「後生の門」。それは再生のサイクルのなかでは、同じ意味を持つ。針を突くのがいちばん痛かったとされる部位に島人は、そこから生まれ、そこに還る出入口を記した。両の手のひらを身体に向ければ、それはいつでも目に入る。そこに刺青を入れるということは、その死生観を支える神話空間にいつでも入っていけることを意味した。

 その重要な文様が消失したということは、遠ざかるニライカナイ(ニルヤカナヤ)ともに、トーテムや再生の信仰が失われていく過程を刻印しているにちがいない。手首内側は文様の消失が歴史を物語っている。

 

 

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