「外国人が見た沖縄」(モモト No.29 )
陶芸家、週貸し宿のオーナー、バスケ選手、近世琉球史研究者、空手家、プロレスラー、映画監督と、沖縄つながりの「外国人」たちが沖縄にかかわった理由を語る。顔ぶれからすれば西洋人が見た沖縄といったところだ。
どの方も通りすがりではなく腰を据えて沖縄に関わっている。けれど、西洋という距離感がなせるのか、沖縄ががんじがらめになってる文脈とはいい意味で切れているので、そこがすっきりしている。それは彼らの表現がいかにも浅いということではなくて、返って純粋に「沖縄」が捉えられている感触がやってくる。だから、ひとつの沖縄表現の系譜に自然に入っている感じがした。ひょっとして継承者は彼らではないか、とでもいうような。
それに沖縄に関わっている人ほど、というか、表紙を飾るポール・ロリマーさんもそうだが、島人の顔に見えてくるから不思議だ。彼らは沖縄に自身の鏡像を見い出したということかもしれない。
この特集に呼応するように、人類学者と言っていいのか、ヨーゼフ・クライナーさんが紹介されているのも嬉しいところだった。加計呂麻島で来訪神を調査していたクライナーに神人は言う。
「神さまが皆この世を去るなら、村が続くはずがない。村には常に村の人々の生活を守る神さまがトネヤにいらっしゃって、毎朝、グジヌシュが線香を立てて、拝んでいる」といったのだ。常在神と来訪神という概念の違いに初めて出会い、クライナーさんは調査をやり直す必要性を痛感。
この痛感を経たクライナーのおかげで、ぼくたちは常在神と来訪神という原理的なふたつの神概念を手にすることができたのだから、これは大きな功績だったと思う。
と、こんな本格的な文章に出くわしたのには驚いた。まるで民俗学の専門書だ。
そして、巻末の仲程さんの写真。琉球弧の「赤(アー)」と「青(オー)」のコントラスト、貝としてのサンゴ礁の陸側の縁の岩、その入り口の穴。ようこそ、サンゴ礁の神話空間へ。
サイト:モモト
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