« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016/12/31

文字を喰って文字を吐く

 文字を喰って文字を吐く。ここ数年つづいてきたことだけれど、今年もそういう一年だった。喰らうべき文字は、文字なき時代に遡る伝承であり、吐くべき文字は、それを当時の島人の抱いていた意味や価値で捉えなおしてしかるべき時間と空間の層に置くことだ。

 うまくいっているかどうかは分からない。けれど言葉を届かせていない領域は依然として広大なのだから、続けられる限り、そうしていこうと思う。

 今年は駆け出しの芸人のように『珊瑚礁の思考』を連呼することになったが、応答は身近な周辺に終始した。無名というのはそういうことだ。しかし、『珊瑚礁の思考』を通じて、得難い出会いとおしゃべりがあったのは確かで、それがかけがえのないものになった。求めていたのはこれだと思えることで、前に進められる気がしている。

 教えてもらった金城浩二さんのような方もいて(参照:「沖縄県読谷村、美しい海を蘇らせる「さんご畑」」)、金城さんが作っている「さんご畑」の隣りに、ぼくは『珊瑚礁の思考』を添えようとしているのだと思う。願わくば、この「さんご畑」のように色鮮やかで生き生きとしたものに育ちますように。coral reef forever.

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/30

「ティダ拝みと宮参り」(下野敏見)

 下野敏見は、生児儀礼についてヤマトと琉球のちがいについて、書いている。

琉球ではティダに面会して、それもノボリティダに会って、その力をいただくことに直接の目的があり、ヤマトでは氏神に参って、その加護を祈ることに目的があった。

 こういうことを自分の子供が生まれたときに知っていればなぁとつくづく思う。

 さておき、ティダ拝みとは別に、「弓射り」と「蟹はわせ」は琉球のみで、「紅付け」はヤマトだけとある。

 桑の木の小弓に矢をつがえて、赤子を抱いた人が東に向かい三回射る。沖縄ではミージョーキ、奄美ではサンバラと称する丸笊を的に射るところもある。

 奄美大島の根瀬部では、赤子の前に立てたサンバラに向かって矢を射る。下野は、「赤子を襲う悪魔を防ぐ呪的期待があるのであろう」と書いている。

 またしても、魔除けである。儀礼の古層を探ろうとするとき、最大のトラップは「魔除け」なんじゃないだろうか。

 これはそういうことではなく、蛇と貝(太陽)の子として赤子がいることを明かしている。赤子が後にいるとはそういうことだろう。蛇と貝がトーテムであるということだ。

 しかし、トーテム揃いにかけてはやはり龍郷の例に勝るものはなさそうだ。

大島郡龍郷村では、きまった日に名前はつけなかったが、いまでは七日のイジャンハジメ(出し初めの式)の前までにつける。イジャンのことを明り拝ましともいう。家の前庭で、男の子は桑の木でつくった弓を、女の子は鋏と針を高盆に御飯と一緒にのせ、マヨガラ(苧)という草をとってきて庭に植え、川から小がにを三匹取ってきて椀に入れておき、これを一匹ずつ赤子の頭の上にはわす。そして「イシグジマやカネクジマ(ともに貝の名)のように無事でありますように」ととなえる。かにがみつからないときは白い小石を用いる。そして、赤子を外に出して太陽を拝ませた。

 赤子の額にナベヒグロ(鍋灰黒)をつけるのはなぜだろう。鍋と火は、貝つながりで分かる。蛇の斑紋を象徴化したものだろうか。ガラスヒバアの鱗の両側には、「一個の顕著な黒色のはん点がある」(『蛇(ハブ)の民俗』)。このことかもしれない。

 ガラスヒバアは、蛙、イモリ、キノボリトカゲなどを捕食する。ハブが蛙を捕食することは少ない。


『奄美・吐カ喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/29

男性植物と女性植物

 「沖縄・国頭村安田シヌグの祭祀植物ゴンズイ(1)」(新里孝和、芝正己)から、植物の性別名称を見てみよう。

男性

・クカ・クガ・クガー・クーガー・フガー(ナシカズラ;睾丸の意で果実の形と色が皐丸に似ることに由来)
・クガー・マヤークーガ(タマシダ;皐丸・猫の睾丸)
・クーガヤマン(ハリイモ;睾丸に似た山芋)
・タニハンキー・マラハンカー(ノボタン;亀頭の包皮を反転させる意)
・マラウイフサ(ナンパンギセル;マラ起きる草)
・ンマヌマラチン(トウモロコシ;馬のマラきび)

女性

・ホーギ(ホーギー・ポークサギ、新里メモ 2003年 2月、イボタクサギ;女性陰部の木の意でこの木の葉を揉めば悪臭を発することに由来、ハマゴウ;同)
・アンマーチー・アンマーチチ・ンマガツゥギ(アカテツ;お母さんのお乳・お乳の出る木)
・フォーフッカギー(オオパイヌピワ;女性の性器が腫れる木の意でこの木の樹液が女性の性器に触れると性器が腫れることに由来)
・アンマーチーギー(イヌビワ;お母さんの乳房の意で果実の形態が乳房に似ることに由来)

男女

・ホーフックヮー・マラフックヮー(ミフクラギ;陰部にその木の樹液をつけると陰部が腫れる)
・ポークスイク・マラクスイク(シキミ;女陰糞モッコク・マラ糞モッコクの意)
・ハーメークーギ・フギクサ(イタチガヤ;お婆さんの陰毛に似た草)
・ピィーミーワサ・マラミーウサ(ハマボ、ツス;女性・男性の性器を見る草)

 新里、芝もこれは例として挙げているのだけれど、本当はもっとあるのだ。

 植物では名指しできないけれど、イモガイが、

 ・ブディフ、ブテフ(八重山)
 ・ブドウ(奄美大島大和村)
 ・ブトンニャ(奄美大島)

 こう呼ばれるのは、男性器貝のことだとすぐ思うのだが、どうもそれは与論人であるかもらかもしれない。『図説琉球語辞典』によれば、男根をブトズ系で呼ぶのは、与論島と久米島鳥島だけなのだ。

 中本正智は、「ブトゥ系の語源は未詳」だとしている。しかし、これは八重山で男性を表わすビキ系の言葉だと見なせばいい。

 それはヱケリにつながる。bikidun > wikidun > wekeri

 中本は、ビキドモ系は、「分析的には、エケ weke と ドモ domo(供)にさかのぼる」としているが、「供」を持ち出さなくてもいいのだと思える。

『図説琉球語辞典』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/28

「夜の口笛」(山里純一)

 夜口笛を吹くと、

 マジムン(化け物)が出る(宮古、八重山)
 悪霊を呼び寄せる(沖縄本島) 
 亡者が集まる(伊是名)
 ヤナムン(魔物)が来る
 キジムナーが来る(読谷)
 寝た時枕上に恐い物を呼び込む(ヤンバル)

 山里は、

夜口笛を吹くと「マジムンが出る」とか「ヤナムンが出る」といった沖縄伝承は、「蛇が出る」とか「盗人が来る」という本土の伝承に比べて、より本来の意味に近いと言えるのかもしれない。

 と書いている。

 口笛を吹くのは、風を呼ぶための呪術でもある。風は蛇の精霊の化身(あるいは、蛇の精霊が引き起こすもの)。だから、口笛を吹くと蛇が出るというのが古い。それが、木の精霊として残ったのがキジムナー、その零落がヤナムンやマジムンになる。夜、という条件もそうなのではないだろうか。 


『沖縄の魔除けとまじない―フーフダ(符札)の研究』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/27

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』(小林眞)

 ミミカ族は、ニューギニア西部の南側に分布する部族。小林眞のこの本は、ミミカ族のアートオブジェを追い、その図像の解読を目的としている。ぼくも琉球刺青の図像の解読を試みてきた。小林さんとは関心が重なり合う。

 下図をみれば、小林の探究が丹念に行われているのが分かる。

2

 ここでの関心からいえば、ミミカ族の刺青文様を見ることになる。

Photo

 上図(15)(の文様について、小林は「人体においては臍、女性器、男性器、目や骨の表象にも一部似ている。自然界においては、大地と海、雷の象徴表現に類似している」と書いている。

 すでにミミカ族においても文様の意味は不明であったわけだ。十字は琉球弧でも頻繁に現れる。(15-2)(15-3)は、徳之島が重視した図像に似ている。また、目を引くのは(14-1)が「骨」を表していることだ。これは、喜界島の手首内側の文様に似ている。下図の真ん中の例だ。

2_3

 ただ、この文様は、喜界島の他の例と照らし合わせると、下図の同位置のトーテムと霊魂表現を融合させたもののように見える。

2_2

 それでも対照したくなるのは、刺青は骨に染みることが目指されたように、刺青は骨とつながって表象されていたと思えるからだ。

 ミミカ族の刺青文様は、琉球弧と同様にアルカイックの域を出ないばかりか、数も少ない。しかし、それはミミカ族のデザインが貧弱だということを意味しない。彼らは、刺青の他、ボディ・ペインティングも行っているし、盾やカヌーにもさまざまなものたちを象っている。特に祖霊像は豊かだといっていい。

 ミミカ族は、特に刺青に固執する理由を持っていないということだろう。

 ここで立ち止まれば、刺青に固執するということは、身体が表現の場として重視されることを意味する。これは、霊魂の衣装として身体を見出していることを意味するが、霊力の方からみても、身体と霊力の結びつきが保たれていることを意味している。刺青を重視する種族は、霊力思考も濃厚であることが条件であるのかもしれない。

 祖霊像を持つように、ミミカ族は霊魂思考を発達させている。これと、刺青を離れるのは相関があるのかもしれない。

 参照:『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/26

シャコ貝とヒザラ貝

 『徳之島民話集』(水野修)には、「ギブ貝」に挟まれて溺れかける男の民話が載っている。海に姥捨てをしようとした男が、ギブ貝に挟まれて溺れる。許しを乞うとギブ貝が口を開いたので、男は助かり老人を大切にするようになったという話し。

 『沖永良部島昔話』(岩倉市郎)には、ヒザラ貝が出てくる(「ひざら貝になった男」)。ニラの島に行った男が、三日経って帰ってみると、両親が亡くなっていた。ニラの島でもらったクヂマ(ヒザラ貝)の背中の殻を外したら、自分がクヂマになった、という昔話だ。

 これらは、奄美でもシャコ貝がトーテムであったこと。ヒザラ貝もトーテムだったことが分かる。

 カミ(精霊)と人間の関係は、ヒザラ貝と人間の関係に等しい。面白いのは、ニラから帰った男が、ヒザラ貝の殻を取る(玉手箱を開ける)と、老人になってしまうのではなくて、貝トーテムに戻ってしまうことだ。ここでは反復する時間が生きている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/25

「外国人が見た沖縄」(モモト No.29 )

 陶芸家、週貸し宿のオーナー、バスケ選手、近世琉球史研究者、空手家、プロレスラー、映画監督と、沖縄つながりの「外国人」たちが沖縄にかかわった理由を語る。顔ぶれからすれば西洋人が見た沖縄といったところだ。

 どの方も通りすがりではなく腰を据えて沖縄に関わっている。けれど、西洋という距離感がなせるのか、沖縄ががんじがらめになってる文脈とはいい意味で切れているので、そこがすっきりしている。それは彼らの表現がいかにも浅いということではなくて、返って純粋に「沖縄」が捉えられている感触がやってくる。だから、ひとつの沖縄表現の系譜に自然に入っている感じがした。ひょっとして継承者は彼らではないか、とでもいうような。

 それに沖縄に関わっている人ほど、というか、表紙を飾るポール・ロリマーさんもそうだが、島人の顔に見えてくるから不思議だ。彼らは沖縄に自身の鏡像を見い出したということかもしれない。

 この特集に呼応するように、人類学者と言っていいのか、ヨーゼフ・クライナーさんが紹介されているのも嬉しいところだった。加計呂麻島で来訪神を調査していたクライナーに神人は言う。

「神さまが皆この世を去るなら、村が続くはずがない。村には常に村の人々の生活を守る神さまがトネヤにいらっしゃって、毎朝、グジヌシュが線香を立てて、拝んでいる」といったのだ。常在神と来訪神という概念の違いに初めて出会い、クライナーさんは調査をやり直す必要性を痛感。

 この痛感を経たクライナーのおかげで、ぼくたちは常在神と来訪神という原理的なふたつの神概念を手にすることができたのだから、これは大きな功績だったと思う。

 と、こんな本格的な文章に出くわしたのには驚いた。まるで民俗学の専門書だ。

 そして、巻末の仲程さんの写真。琉球弧の「赤(アー)」と「青(オー)」のコントラスト、貝としてのサンゴ礁の陸側の縁の岩、その入り口の穴。ようこそ、サンゴ礁の神話空間へ。

 サイト:モモト


Momoto


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/24

『ホライゾン』31号の貝特集

 雑誌『ホライゾン』31号に「貝特集」があって助かった。

 ヒメジャコガイは、石サンゴのなかに穿孔して、「この科のなかでは一番多く生息」している。

 シャコガイ科。スワリンニャ(座っている貝)(笠利)、ギブ(大和村)、ヒ魚(名瀬)。
 シラナミガイ(シャコガイ科)。殻に色はつかず穿孔もしない。
 ヒレジャコガイ(シャコガイ科)。かつては手水鉢として使われていたこともある。

 マガキガイ。トビンニャの他に、奄美大島南部以南では、「テダラとかテラジャとよばれる」。
 ヒザラガイ科(クジマ、グジマ)。「奄美大島北部、笠利湾における貝類知識」(飯田卓、名和純)では、「ギズマ」という音も得られている。

 アンボイナ貝(イモガイ科)。ハブ貝とも言われる。
 「奄美大島北部、笠利湾における貝類知識」では、ツタノハガイ科は、ナブンニャ。サラサバティ(タカセガイ)は、アンサレ。

 奄美大島でも、シャコガイは太陽名で呼ばれている。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/23

『カフカはなぜ自殺しなかったのか? 弱いからこそわかること』(頭木弘樹)

 どの年齢の人も、その年を初めて経験しているのに気づいて驚いたことがあった。それと似ていて、この本の冒頭で、「「自殺しなかった理由」を考えることも、とても大切なことかもしれません」と言われると、ぼくたちが出会って話をしているのは、不慮の事故や事件で死なない限り、たまたま自殺しなかった同士だからできることだと気づかされて、驚いた。

 読み終えてみると、カフカを主人公にして、著者の頭木弘樹を語り手にした短編小説のような感触がやってくる。それは、主人公カフカの手紙や日記が飛び切り面白いからだけではなく、頭木の語りが強い解釈を施さない介添えのような導き手になっているからだ。

 実際、カフカときたら。欲求が沸き上がってこないというのではない。一方の欲求に従おうとしたら、正反対の欲求も呼び覚まさずにはいられなくて、右へ行こうとしたら、それと同じ強さで左に引っ張られる。どちらにも行こうとするから忙しい。その一方の極には「自殺」があるのだから、手紙や日記は深刻で痛ましいのだけれど、思わず笑わずにいられないところもある。

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

 「七転び八起き」ではさらさらなく、「七転八倒」でもない、倒れたまま。これを意中の女性への手紙で書いているのだから手を焼くのは用意に想像できるけれど、こちらも笑いつつ、どこか惹かれる。これが二行目で終わっていたら、ただのネガティヴだけど、三行目では深刻なのに、ユーモラスで素敵な感じさえしてくる。なかなかできないことです。

 この手合いと真摯に向き合ったフェリーツェは立派だ。もしカフカが身近にいたら、ぼくなら呆れて敬して遠ざけるのが精一杯だったろう。しかしフェリーツェは、二度の婚約と二度の破棄に付き合っただけでなく、こうして手紙も残した。残したのもいずれ有名な作家になると思ったからではなく、取っておきたかったからだと思う。風変りとはいっても、こんな文章をこまめに自分のために書いてくれるなんて、誰も経験できない。

 決められない男、カフカ。けれどほんとうにそうだろうか。「自殺」のカードをいつも片手に持ちながらしか生に向き合えず、まわりのあれやこれやの手助けでなんとか社会生活を送っている。でもそのカフカは、建築現場で左足を砕かれた老人のために、法律に不備のあるなか、弁護士を介してお金をもらえるように働きかけていた。第一次世界大戦の戦場で心を病んで戻ってくる人たちのために精神病院を開設するのに力を尽くしたのも彼だった。ここに「倒れたまま」のカフカはいない。人のためなら決められるわけです。

 近代の落ちこぼれのようなカフカ。近代を生み出した西洋にもこんな人がいたのだ。しかし考えてみたら、そうであったからこそ、「虫」への化身(『変身』)を想像しえたのだろう。そこでカフカは、人間との関係だけではなく、自然との関係を見出すことはできず、虫が妹の心変わりによって、みじめに死んでいくことしか描けなかったとしても、そこが拓くべき通路だったのは確かだと思う。

 頭木はカフカを「決められない男」ではなく、「決めない男」ともいうべき態度で捉え、そこにある曖昧さや矛盾の許容を「私たちが息をする場所」としてそっと置く。そのおかげでこの本から、余韻を残す小説のような後味が届けられる。ぼくはその余韻に任せて、人が弱さの極みで虫に化身しても訝しがられない世界を夢想した。


『カフカはなぜ自殺しなかったのか?: 弱いからこそわかること』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/22

トーテムとしての貝たち

 トーテムとしての貝たち。

 高瀬貝      黒島(針突きの由来伝承)
 シャコ貝     多良間島(ぶなぜー神話)
 アカニシ・赤螺 古宇利島(始祖神話)
 ヒザラ貝     奄美大島・沖永良部島(龍郷のイジャンハジメ、沖永良部島のマブイグミ)。

 どの貝にも、「輝き」または「赤」、つまり「太陽」が宿されている。つまり、サダル神の頭巾の赤や蝶形骨器の赤は、貝―太陽に由来していることになる。太陽といってもそれは朝陽だ。トーテムの印だった「赤」は、やがて死の色になり、忌避されるようになる。つまり、それは「赤」が身をやつす過程なのだろう。

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/21

「ヒルギとグーザ」(野本寛一)

 ノコギリガサミ(ガサン)は、シレシシジミ(キゾ)を食べる。

ガサンは生きたキゾをたくさん自分の穴の囲りに集めているからガサンのいるところはよくわかる(祖納出身者談)。

 こうれであれば、トカゲを経由しなくても、蟹をトーテムとするところに辿り着ける。

 蟹にあたって死ぬ(参照:「『復刻 奄美生活誌』(惠原義盛)」)。貝を食べる。両方、考えられる。

 しかし、蟹が貝を食べるということは、蟹の祖先として貝が考えられることになる。この場合、シレナシジミの祖先がシャコ貝だから、シャコ貝の子という意味では、シレナシジミと蟹が同位相に捉えられているのかもしれない。

 シレナシジミとノコギリガサミの関係でいえば、シレナシジミはノコギリガサミに化身すると考えられても不思議はない。川のなかではそうだったかもしれない。

 一方、シレナシジミのサンゴ礁での姿はシャコ貝であり、シャコ貝の方が祖先にあたる。

 シレナシジミ>ノコギリガサミ(川)
 シレナシジミ>シャコ貝(川→サンゴ礁)

 これを矛盾なく捉えようとすれば、ノコギリガサミもサンゴ礁に入れば、シャコ貝になると見なすことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/20

『縄文のタイムカプセル』(田中祐二)

 若狭湾は縄文の世界を追う者にとってわくわくする地形だ。

1

 著者の田中祐二によれば、三方五湖の奥には「古三方湖」があって、その周辺に貝塚遺跡が集中している。

2

 こういう地勢だと、「あの世」はいたるところに候補を挙げたくなるが、残念ながら墓壙が発見されていない。地勢からいえば、「古三方湖」は境界域になるが、その先の「あの世」の場は現状の情報からは分からない。「栽培植物」が始められていたというから、「あの世」には地下のベクトルも持っていたと思える。

 しかし何といっても目を引くのは、赤く塗られた漆塗土器だ。下はよく似た例として山形の押出遺跡から出土されたものだ。

4

 渦巻きといい赤といい、琉球弧の方からみれば、これは「貝」を表現したものに見える。赤は丹彩土器にも使われている。

5

 そしてすごいのは、「刻歯式堅櫛(こくししきたてぐし)」だ。

6

 これは「鳥浜貝塚のシンボルといえる有名な飾り櫛」とされている。「上端には一対の突起があり、鹿角をイメージしたのではないかともいわれる」。

 これも琉球弧からみれば、鹿トーテムを象徴したシャーマンの化身装具が考えられる。また、アカソを素材にした衣類と推定される編物も出土している。

 これらからいえば、鳥浜人のトーテムは、鹿、貝、アカソの可能性があるわけだ。

3

 メジャーフードをみても、鹿や貝は身近だったことがわかる。琉球弧がサンゴ礁人なのに対して、鳥浜貝塚の人々は、湖人だった。しかも時間幅は約12000年から5000年前までの7000年間におよぶ。とても安定した世界だったのだ。


『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/19

『復刻 奄美生活誌』(惠原義盛)

 惠原義盛の『復刻 奄美生活誌』から。

 ヤコウガイやシャコガイの殻は鍋、中位のは椀、ホタテガイの殻は杓子、ミミガイやベッコウザラはスプーン。童名の「鍋」には、貝が宿っているということだ。

 ウミウサギ(ヨナスビ)は、子安貝。

 貝は保護色をしているので、初心者には容易に見つけられないが、なかには周囲の色とちがう色で「きらきら輝いているのがいます」。

 そこに「太陽」をみる貝はシャコ貝だけではないのが分かる。惠原は、高瀬貝(イフ)ものなかに入れいている。

 砂浜のない黒い岩石が海岸伝いにある地形を、惠原は「クルヒザ」と呼んでいる。与論のクルパナもこの流れにあるのかもしれない。

 貝をとるときに、島の女性は石をひっくり返すことはしない。

 ミミガイ(ムリゲ)は、「女性の隠語にも使われる」。マガキガイは、テナザ。テラザやトビンニャとも呼ばれる。テナザの殻は子供の遊び道具。独楽をつくる。

この独楽は上から息を惹きつけると、いつまでも回るのが特徴で、昔の子供達は息を吹き吹き、移動して行って闘わせて遊ぶのでした。

 アマオブネ(トリクヮ)は、おはじき遊びの玉。

 イラブチは「ご馳走の最高のもの」。

 ヤコウガイは「潜りの達者な者でなければ獲れません」。マンボウガイは、「ナルコンミャという大型貝もいると聞かされたものはこれではないか」。

 国直のノロの家にテロコギ(テルコ扇)と一しょに神道具としてナルコンミャといわれている貝殻はマンボウガイではなく、図鑑にゴホウラとして載っているものに近いものでした。

 明治初年までは知名瀬のフーグチにテロコンミャが沢山獲れた。

 ボラの成魚は、根瀬部では「サクシ」という。

 昔から名のない蟹は食べるなと言われる。これを獲って食べて一家全滅した話しをしばしば聞く。

 これが、大島で蟹がトーテムになった理由かもしれない。

 昔は、経糸は、「芭蕉の苧やヤマヲ(山の蔓の繊維)を撚って」作った。

 少女がする化粧は、「爪染め」と「唇染め」。

 惠原の民俗誌には、ヒザラ貝が出てこなかった。「奄美大島北部、笠利湾における貝類知識(飯 田卓、名和 純)」によれば、ヒザラ貝は喜瀬でキズマ(グズマ)などと呼ばれている。思うにこれは太陽系の名だ。龍郷でクジマ、喜界島でクンマーと呼ばれるのも同型だと思う。

 ヒザラ貝が、太陽系の名なのは不思議だが、肉の方の色を呼び止めたのではないだろうか。


『復刻 奄美生活誌』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/18

奄美の貝の主

 新里貴之は、柳宗悦が発掘した万屋ナゴ浜の遺跡について、先史時代の可能性が低いとしている。ただ、面白いのは、柳によれば、シャコ貝を枕にして葬られていたことだ。

 宇宿港遺跡

 ・右肘関節付近にイトマキボラ科の貝が出土している。

 喜念原始墓・喜念クバンシャ岩陰墓

 ・自然状態の貝としてシラナミ(ナガジャコ)1点、リュウキュウバカガイ1点、オキニシ1点である。また、今回図化していないが、石灰華に覆われたゴホウラ破片らしきものもある。このうちオキニシ1点はヤドカリによる自然流入であると考えられる。これまでの研究からは、オオベッコウガサガイ粗孔品や無加工のシラナミ・リュウキュウバカガイは、葬具として使用された可能性がある。

 ・喜念原始墓でリュウキュウバカガイの自然貝が確認されているが, 大隅諸島や沖縄諸島の例から, 意図的な配置と考えたほうがよさそうである。(南西諸島における先史時代の墓制(Ⅱ) -トカラ列島・奄美諸島-)

 沖永良部島のマブイグミでは、「イシクジマ、ハニクジマ ナユンタベ ソクサイ アラチ タボリ(石ひざら貝、金ひざら貝のように腰のまがるまでも息災にあらせてください)」などと唱えてから、「ホーホー」と息を吹きかけた。(甲東哲『シマの言葉』)。

 「ひざら貝」は、龍郷の名づけ祝いのような場面でも登場していた。(参照:「イジャンハジメ(出し初めの式)のトーテム揃い」

 「貝交易」の貝たちは、本土では、ゴホウラの腕輪は成人男性の右腕、イモガイの腕輪は成人女性の左腕または両腕にはめられた。

 ゴホウラは、奄美大島では「テルコニャー」で太陽系の名称、沖縄も含めてイモガイは男性器名称で呼ばれている。つまり、「女性」を男性が、「男性」を女性がつけたことになる。この、象徴の意味のコミュニケーションがあったかどうかは分からない。

 しかも、ゴホウラはサンゴ礁の外の砂底に生息しているのに女性名称、イモガイはサンゴ礁内にいるのに男性名称になっているのも面白い。イモガイは、毒を持つのでハブとの類似を捉えたのだろうか。

 ただ、ゴホウラもイモガイも、奄美の貝の主とは考えにくい。まさか、ひざら貝というのも。やっぱり、シラナミのような大型の二枚貝はもともとは主だったのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/17

カタカシの類縁

 宮古でカタカシを「イジヤンカタカシ」というのは、「やかましい」の意味らしい(『原色沖縄の魚』(具志堅宗弘))。

 ・浅海の砂泥地にまなりの群れをつくる。
 ・砂地の上を遊泳している。
 ・ヒゲでサンゴ礁をつつく。

 砂を這うように泳ぐ姿は、蛇が這うのと似ている。髭がサンゴをつつくのは、蛇が舌を出して餌を探すのに似ている。こういうことだと思う。

 沖縄では、ギランと言う。ここには、シャコ貝との類縁が見られる。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/16

「サルタヒコと日本神話のコスモロジー」(北沢方邦)

 イザナギの投げた杖はクナトの神だとして、それをサルタヒコと同一視してよいかというのが考えどころ。言い換えれば、その杖には、広々と葉が茂ったいるかどうか。

 「サルタヒコと日本神話のコスモロジー」のなかで北沢方邦は書いている。

 「貝による死と再生」は、「貝による生誕」と記号的に対をなす。

 佐太大神は、「貝である母と地下世界の岩屋が二重に母なる大地の子宮を表している」。それが「貝による生誕」の意味である。

 キサカイヒメが地下世界から投げた金属の矢と、イザナギが地下世界に投げた木製の矢は対称をなす。

 クナトは、「結局イザナキとイザナミの間接的な交わりによって母なる大地の子宮で生まれたことになる」が、これも「母なる子宮という「貝による生誕」に他ならないから、サルタヒコとクナトの神は、「同一の神か、すくなくとも同型の神といえる」。

 サルタヒコは雷神であり、雷電の火で火の神でもある。赤は、火を象徴する。だから、クナトも火の神と相互に変換形である。

 北沢の論理は、記号としての対称性を見い出し、その対称を位相同型の根拠にすることで成り立っている。ぼっくは、もう少し内在的に捉えたいと思う。

 サルタヒコは、太陽を生む貝を母に持つから、火の神でもある。イザナミは矛盾を抱えた神に見える。イザナミ自身がは火の神を生むが、それはトーテムが蛇からシャコ貝へと変換されることを示しているように見える。この「貝」を宿している分、イザナギの投げる杖も「貝」を宿すという見なしも許されるように思える。また、宿しているということは、イザナギとイザナミがおのころ島を作るのが「矛」であることにも示されている。

 北沢は、「杖」は同時に「矛」であるとしている。タマホコは男根であり、クナトまたはサルタヒコの霊力を示す。それはおそらく石で作られたホト、女陰と対をなすと思われる。それが道祖神に変形された。

 石は必ずしも女陰のみを示すとは限らないのだから、やはり「矛」自身に、男女が込められていると見なすのがいいのではないだろうか。石も同様。それゆえ、道祖神に変形されるのも可能になる。
 

『隠された神 サルタヒコ』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/15

安田村と伊部村

 国頭の安田ヶ島(アラハ)は、「海からあがってくる神の足だまりの場」(外間守善『南島文学論』)と言われる。イノー(礁池)にあった「あの世」の典型例だ。

 安田村の隣りは伊部村。

 安田は、もともとは「中空」を指す「awa」から転訛した言葉だ。

 awa > aba > ara > ada

 気になるのは、隣りの「伊部」だ。これも「awa」地名ではないだろうか。

  awa > aba > iba > ibu

 そうやって思い出すのは、「いび」だ。「いび」も結局は、「青」地名に由来しているのではないだろうか。

八重山のいびと言ふ語は、香炉の事であると思ふが、先輩の意見は各異つて居る。
八重山には、御嶽に三つの神がある。又、かみなおたけ・おんいべおたけと言ふのがある。八重山のみ、いび又はいべと言ふ事を言ふが、他所のいびとうぶとは異つて居る。うぶは、奥の事である。沖縄では、奥武と書いて居る。どれがいびであるか、厳格に示す事は出来ないが、うぶの中の神々しい神の来臨する場所と言ふ意味であると思ふ。八重山の老人の話では、御嶽のうぶではなくて、門にある香炉であると言つて居る。即、香炉を神と信ずる結果、香炉自体をいびと言ふのである。(「琉球の宗教」)

 ただし、背負った意味は異なる。

 1.地の島という意味での「アヲ」
 2.あの世としての「アヲ」
 3.あの世の封印の場としての「アヲ」

 「いび」は、3の段階に当たる。2で聖性を帯びることになる「アヲ」は、3で「イビ」へ変態して、かつての「アヲ」封印の意味を担う。

 ひょっとしたら、「産土神(ウブスナガミ)」の産(ウブ)も「アヲ」由来なのかもしれない。人間の生命も「あの世」からやってくると思われていたわけだから。

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/14

「干ノ瀬(カンノビシ)」

 那覇沖の堤防の下には、「干潮時になると、大きな二つのサンゴ礁が顔を出す」(目崎茂和『南島の地形―沖繩の風景を読む』)。

 古くからの漁場であり、北側は「自謝加瀬(ジイジャカビシ)」、南側は「干ノ瀬(カンノビシ)」と呼ばれている。
 古来から堤防はなくても那覇の街を、この二つの台礁で波を砕き高潮を防いできたことは明白だ。そして那覇を沖縄一の港にしたのも、この礁の存在であったことは忘れてはならない。

 「干ノ瀬(カンノビシ)」は、「カミの干瀬」で、かつての「あの世」だったことを示すものだ。埼桶川貝塚の島人にとっての他界だろう。「カミの干瀬」は、港のはじまりの場と身をやつすことになった。

 今年二月に行ったときには、当時の海際の地形しか分からなかったが、島人はその向こうに干瀬をあの世として見つめていたのだ。(参照:「埼樋川貝塚と吹出原遺跡」


Photo_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/13

こまかの澪、久高の澪

 考えみれば、「おもろさうし」のこの歌謡には、コマカ島や久高島がかつての「あの世」だったことへの想いが残響しているのかもしれない。豊穣の源という視線。


うちいではとまりみぢへりきよが節
11-650(95)

一 こまかの澪に 降れ 見物
又 久高の澪に
又 ざん網 結び降ろちへ
又 亀網 結び降ろちへ
又 ざん 百 込めて
又 亀 百 込めて
又 ざん 百 取り遣り
又 亀 百 取り遣り
又 沖膾 せゝと
又 へた膾 せゝと
又 手楫 選で 乗せて
又 沖走い立ての 競いて
又 干瀬走い立ての 競いて

 豊穣はニライカナイからやってくる。それを象徴するのが、ざん(ジュゴン)と亀だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/12

『魂の民俗学』(谷川健一)

 谷川健一の『魂の民俗学』の気づきメモ。

 福江島の沖には高麗曾根が残っている。「島の言い伝えではそこで漁師が網を打つと、皿類だとか茶碗類ががらがらと引っかかってくる」。

 これからすると、「みみらくの島」のひとつは、高麗曾根だったかもしれない。

 多良間島では魚を捕らない。水納島から魚を買う。これは、多良間島にとって水納島がかつてのあの世だったことを暗示しているように見える。

 敦賀市では「西浦の子は亀の子」という。「亀が海岸の砂の上に卵を産む。人の出産をそれと同じように見た」。「お産の仕方は蹲踞」。

 人はサンゴ礁という胞衣から生まれる。こう思考した段階で、亀との類縁を感じたのではないだろうか。また、この「蹲踞」は、屈葬の起源なのかもしれない。赤子の姿勢でもある。

 「マウは守り、あるいはマブイ(魂の先島方言からきていると思います」。「マウ神は個人が生まれたときに守護神としてついて、その人間が死ぬとそれで消えるんですね」。

 守護神としては「霊魂」由来だけれど、中身は「霊力」由来だ。やはり、宮古の霊魂概念は霊力思考が強い。

 「柳田先生のそれ(祖霊観-引用者)は古代的な観念ではなくて、仏教が庶民の間に浸透して以後の祖先への供養意識の定着化に影響しているという感じですね」。

 これはそうではなく、むしろ折口の神観念より前古代的だとも言える。

 「八重山では石のごつごつした島のことを「サフの島」と申します。八重山では人間が死んだらサフの島に行くと信じられている。磯辺でごつごつした岩の間の海草を採って食べるような貧しい世界」。

 これはそういうことではなく、たとえば黒島などにあの世にみた島人がそう言ったのだ。むしろ、この言い伝えの古さをよく物語っているのだ。

 『球陽』には「荒神は海神なり」、「必ず奥において出現す。故に俗に奥の公事といふ」と注釈してある。これは、いつか確認。

 「渚が現世と他界の中心線」。そしてその場合、他界は果てにあるのではなく、すぐそばにある。

 「奄美大島では、八歳になるとおばあさんが三角形の布切れをつぎはぎして孫に衣裳を作るんです。この三角形はあなたのひいじいさんの魂、この三角形はあなたのひいばあさんの魂、というふうに近親者の霊魂を孫に与える着物に縫いつけるわけ」。

 「国頭では、やけどで死んだ老婆は逆さに埋葬した」。

 これは沖縄島で多い伏臥伸展層の後身の姿かもしれない。

 「干瀬はさながら一条の練絹(ねりぎぬ)のごとく、白波の帯をもって島を取巻き、海の瑠璃色の濃淡を劃している」(柳田國男)

 「物音もない海浜に、ほうとして、暮しつづけている」(折口信夫)。

 
『魂の民俗学―谷川健一の思想』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/11

手首内側の文様の消失

 三宅宗悦(「南島婦人の入墨」)が採取した徳之島の刺青デザインは、小原一夫のとは微妙に違っている。

Photo_3

 その違いは、これまでの考察に再考を強いるものではないが、小原の模写の仕方では気づかなかったことに思い至らせてくれる。右下の例をみると、手首内側の文様が小原の採取したそれより曲線的で縦の幅が薄い。それを補うように、その下には手の甲に似た文様が反復されている。しかし、気づかなかったのはそのことではなく、手首内側の文様のちょうど真ん中に「×」があることだ。(参照:「徳之島流刺青」

 これは与論島の「後生の門」、宮古島の「ウマレバン」と同じ位置にある。また、この「蝶」モチーフと同様の文様を持つ奄美大島にはこの「×」はない。「蝶」モチーフの文様に「×」は必須ではないから、徳之島の「×」は「後生の門」、「ウマレバン」と同じだと見なせる。

 そうやって見直すと、喜界島でも同様の意味を見出せる例がある。下図の真ん中の手首内側の文様だ。

2

 残念ながら両者ともに文様の名は聞き取りされていない。しかし、「ウマレバン」あるいは「後生の門」と同等の意味を持つ名称だったのに違いない。宮古島と与論島にしか残存を見出せなかった「ウマレバン」(「後生の門」)はやはり他島にも存在していたということだ。

 このことは、文様のデザインや配置の仕方に独自性を見せる徳之島も、勝手気ままに描いたのではなく、原則を重視していたことの傍証でもある。

 貝からの誕生を刻印する「ウマレバン」と、他界への入口を示す「後生の門」。それは再生のサイクルのなかでは、同じ意味を持つ。針を突くのがいちばん痛かったとされる部位に島人は、そこから生まれ、そこに還る出入口を記した。両の手のひらを身体に向ければ、それはいつでも目に入る。そこに刺青を入れるということは、その死生観を支える神話空間にいつでも入っていけることを意味した。

 その重要な文様が消失したということは、遠ざかるニライカナイ(ニルヤカナヤ)ともに、トーテムや再生の信仰が失われていく過程を刻印しているにちがいない。手首内側は文様の消失が歴史を物語っている。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/10

「みみらく考」(松田修)

 松田修は、「みみらくの島」が、「死者に逢える島」に噛みついてる(「萬葉」75号1971)。

 死者に逢える伝説の島は、福江島に比擬されているけれどそれとは別の神秘的な島がイメージされているというに留まるのではないか、と。現実の福江島は、「それは決して、死者再見の聖なる島みみらくそのものではないのだ」。

 松田は山中耕作の文章を引いている。

しかしこの作者の「みみらくのしま」に関する地理的知識は、半島、岬といった地形をなしているいまの三井楽を、島あるいは山と誤ったものであり、さらに「いづことか音にのみきく」というような曖昧なものであった。

 これは、実際の「みみらくの島」が、遠隔化されたことにより、「半島」「岬」が境界部になったことを示している。「みみらくのしま」とは、かつての他界そのものに他ならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/09

島尾ミホの刺青遊び

 琉球刺青を探究する道すがらでどうしても触れておきたいことがある。島尾ミホの「紅石」だ。

 仲良しのイサッグヮと二人で私は小川の底から粘土質のビンイシ(紅石)を拾い集め、それを平たい石の面に摺りろしては互いの顔に模様を画いて遊んでいました。

 白っぽいビンイシからは細かくて柔らかな練りおしろいが出来上がり、うす紅色のものは、雛祭りの時の紅餅に似たうす桃色の練り紅になりました。それらを紅差しの指につけ、相手の額や頬や頤などに思い思いの模様を画き、鼻のあたまにはひときわくっきりと紅の太い線を入れました。

 さわやかな音をたてて絶え間なく流れる小川を鏡代わりに自分の顔を写して見ても、きらきらと輝く日の光りの照り返しに妨げられて、はっきりとはわかりませんが、相手の顔を見ると、自分の顔もおよその見当がつきおかしくてたまらず、二人は笑いころげては洗い落とし、何遍も書き直しをくり返しながらふざけ合っていました。南洋の土人のお化粧はきっとこんなかもしれないと思いながら、そして顔だけでなく手首から指先にかけても、深い紺色のビンイシを使いハディキを真似て、星形や十文字、渦巻き、唐草などさまざまな模様を画きました。島の女の人が両手の手から指先までの甲に施した入墨をハディキ(針突き)というのですが、私の母の若い頃までは、化粧などすることのすくなかった島の娘たちはハディキを入れてその模様の複雑さを自慢しあっていたと聞かされました。母はまだ十五、六の娘の頃、友達がふくよかなその白い肌に美しい模様のハディキをしているのを見て羨ましくて仕方がなく、それを野蕃な習慣だという理由で親から許して貰えなかったのがとても悲しかったと話していました。

 もうハディキの習慣はなくなっていましたが、まだ歳をとった女の人の手の甲には、若い頃に競い合ったというその模様が色褪せて刻まれているのを見ることができました。でも子供たちのあいだではなおハディキ遊びが残っていて、蘇鉄の葉針を束ねてハディキを突く真似をしたり、ビンイシや花の汁などで模様を画いて遊んでいたのです。

 島尾ミホ八才、1927(昭和2)年のことだから、文身禁止令からは半世紀経っているが、奄美大島と同じように禁止令に応じるのが早かったと思われる加計呂麻島でも「歳をとった女の人の手の甲」に刺青を見ることができだ。それはこの三年後に、小原一夫が奄美大島から何点かの刺青模様を採取していることとも矛盾しない。

 ただ、早かったとはいえ禁止令に即座に応じたわけではなかったのは、ミホの母の友人たちがまだ刺青をしていることから窺える。数年後に小原が奄美大島から採取した刺青模様を持つ女性の最少年齢は68才だが、採取数を増やせば、もっと若い女性からも得られた可能性がある。あるいは、加計呂麻島は奄美大島よりも若干あとまで行われていたということかもしれない。

 少女ミホは紅石を擦って、顔や手に化粧を施す。彼女は、「南洋の土人のお化粧はきっとこんなかもしれない」と思う。たしかに、ミホは文字を書き、すでに習俗が失われかけているところにいるのだが、一方で老女の手には刺青を見ている。彼女はまだ「土人」の習俗と地続きの場所にいた。

 いや「ハディキ遊び」をすることでは、ミホはまだ「土人」習俗のなかにいると言ってもいい。刺青は文身禁止令後、ゆるやかに消滅していった。そう言うだけでは足りない。それはなお刺青遊びとして残存したと言うべきなのだ。

 「深い紺色」という色まできちんと捉えられていて、「紅石」は刺青をする前の少女たちが、ごっこ遊びを通じて自分の将来を反復させていた心映えをそのまま伝えているのではないだろうか。

 書くべき人は書くべきことを書いているものだ。琉球刺青を追う者にとってはかけがえのない文章であり、また島尾ミホが、文学的才にあふれた女性というだけではないことも伝えている。

 ※参照:「琉球文身」


『祭り裏』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/08

トーテム・霊魂表現からみる琉球刺青の類型

 迷路にはまってしまいそうだが、徳之島刺青の尺骨頭部文様にもう少しこだわってみる。

Photo_2

 分からないのは、右手の尺骨頭部が、トーテムを表しているのか霊魂なのか、ということだ。

1.(貝:蝶=22)
Photo_4

2.(貝:貝=2) 
Photo_5

3.(蝶:貝=3)
Photo_6

4.(蝶:蝶=21)
Photo_7

 「蝶」だとしたら、左右の分布が異なるのは、はじめは〔1〕だったものがトーテムの意味が失われるにつれ〔4〕のタイプに置き換えられていったと考えることになる。

 これが妥当性を持つのは、〔1〕の右手が「蝶」に見えなくもないこと、そして〔4〕左が、手首内側の「蝶」文様の三角形から組み立てられているように見えることだ。

 一方、矛盾するのは、琉球弧全域で手の甲はトーテムを表しているのに、徳之島の場合、「蝶」系文様がもっとも多く、霊魂が描かれてることになってしまうことだ。

 三宅宗悦は「南島婦人の入墨」で、ドイツの鉄十字に似た文様を「米の花」、「その外部に入れられた正方形の線を桝形」と聞き取りしている。三宅が図解で挙げているのは、

3

 これに類する文様だが、ここには正方形はないので、言及しているのは、下図の文様のことだと思える。

2_2

 そうだとしたら、「花」も「枡」も「貝」に行きつき、トーテムを示していることになる。これまでのところ、針突き(刺青)についての名称は、原義と矛盾していなかった。この聞き取りもそうだとしたら、トーテムと解するのが妥当だということになる。

 こう解した場合の隘路は、あれだけ重視されている尺骨頭部の左右の意味が、徳之島でのみ失われていることになることだ。これを例外と見なさないとしたら、宮古島も場合も、両方トーテムと見なす考え方も出てくる。

 どう理解すればいいだろうか。

 視野を尺骨頭部だけではなく、手首内側を含めてみる。ここに至るとバリエーションがあるのがはっきりする。まず、手首内側の文様がある島と欠如している島だ。そして文様がある場合も、トーテム表現(貝)と霊魂表現(蝶)に分かれている。

 もっとも思考の内容が分かる与論島では、左が「後生の門」で右が「月」と呼ばれた。これは、左が貝かつニライカナイの入口であり、右が貝の生み出す月を意味している。宮古島の「ウマレバン」は「太陽」だと考えられる。こうしてみると、手首内側に関する限り、意味は幅がある。そうだとしたら、尺骨頭部のみ一義的に捉える必要はないのかもしれない。

 すると、徳之島の場合、尺骨頭部は左右ともトーテム、あるいは、「貝」とそれが生み出す「太陽」として刺青された。〔4〕の場合は、貝の形象を離れて、両方とも「太陽(月)」と見なされる。しかし同時に、〔1〕右が蝶に似ており、〔4〕左も「蝶」からデザインを採取しているように「蝶」も意識されている。

 また、これは特異な考え方ではなく、指の背は「蝶」の部品を使って「蛇」を表現しているのは、宮古島以外に共通している。

 宮古島の場合、これすべてトーテムだということになる。しかし、宮古、八重山が苧麻(ブー)を経由して霊魂を捉えていて、それが宮古島が「点と線」に執着した理由であり、霊魂表現が見られないわけではない理由になる。

 徳之島では、手首が一体として捉えられ、尺骨頭部はトーテム、その内側は霊魂として「蝶」を表現した。そして、尺骨頭部の左右でトーテムと霊魂を表現した場合、手首内側は優先度が落ちて文様が欠如する場合も出てきた。

 徳之島と宮古島で共通するのは、徳之島は三角文様を用いることで、宮古島は「点と線」を用いることで、霊魂表現が投影されていることだ。

 ここでの結論は下表になる。

2_4

 これをトーテムと霊魂の表現分布としてみると、下記の5類型が得られる。

3

 ここまできて琉球弧に共通するのは、左手尺骨頭部がトーテムの座であったということに集約される。これは、沖永良部島で、ここが「アマム骨」と呼ばれて、骨との関連が示唆されていることと共鳴する。骨は再生に関わる部位だからだ。

 この5類型はほんとはこれだけではなかったろう。全島(シマ)からデザインが採取されなかったのが惜しまれる。

 ※参照:琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/07

徳之島刺青の尺骨頭部

 徳之島の刺青思考は、まだ追わなければならない。琉球弧であれだけ重視されている尺骨頭部左右のトーテムと霊魂の座は、徳之島でどう捉えられていたのか。

 まず、トーテムの座であり文様図形の基本になっているのが下図。貝を表すと考えられる。

4

 この他に出現するのは下記で、これを見ても多くのデザインを開発したのが分かる。

Photo

 これに対して右手の「霊魂」の座を象徴するのはこれだ。

4_2

 これは左手の尺骨頭部を再編した図形である。

 この右手のバリエーションは下記になる。

Photo_2

 問題は徳之島の場合、「貝」系が必ずしも左手に出現するとは限らず、「蝶」系(と仮にしておく)も必ずしも右手に出現するとは限らないことだ。煩をいとわず46例の分布を列記してみる。

1.(貝:蝶=22)
Photo_4

2.(貝:貝=2) 
Photo_5

3.(蝶:貝=3)
Photo_6

4.(蝶:蝶=21)
Photo_7

 つまり、正当的な配置になっている(貝:蝶)系は全体の半分弱に過ぎない。考えるべきは、21例ある(蝶:蝶)系だ。

 ここであれだけ霊魂思考を発揮して図形を考案してきた徳之島だから、デザインに溺れて配置はいい加減だったという理解は採らないでおく。

 するともっとも妥当な解釈は、琉球弧において「霊魂」概念が、「霊魂」と「霊力」の二重性から、マブイとして「霊魂」寄りに一本化されていく過程をこの分布は示していると理解することだ。すると、(貝:蝶)という正当な配置から、(蝶:蝶)という傾向を生み出したと受け止めることができる。

 そして琉球弧の「霊魂」概念が、すっきりした「霊魂」そのものではなく、「霊力」をまぶした死者概念にも近しくなることが、徳之島の「霊魂」図形がトーテムの再編としてデザイン化されていることと符合する。

 またそれは手の甲の基本要素である図形((蝶:貝)、(蝶:蝶)の左側)が、「花」系の名称で呼ばれるのも霊力と霊魂のアマルガムとしての霊魂を象徴しているのかもしれない。

 つまり、徳之島の霊魂思考は、霊力と霊魂が編まれた姿を捉えるところまでデザイン化を進めたと見なすのだ。 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/06

「『母ぬ島』が蘇らせる野生の琉球美」(珊瑚礁の思考カフェ Vol.6)

 12/14(水)は、 写真家・仲程長治の写真集『母ぬ島』の刊行を記念して、仲程さんの写真を見ながら、写真の舞台である石垣島の魅力や、その撮り方を存分に語ってもらいます。

 『母ぬ島』はビジュアル・コンセプト・ブックとしても提示されているので、野生の琉球弧の美意識にも迫れたらなあと思っています。トーテムや神話、童名にも。

 そんな野生の思考に接近できるのも、仲程さんの写真が豊かだから。どんなお話しが聞けるか、ぼくも楽しみです。

 以下、ご案内です。

◇◆◇

 仲程長治の写真に出会ってから、自分の眼で島を見るのを止めた。もういっそそう言ってしまいたくなる魅力が、仲程さんの写真にはあります。『母ぬ島』は、石垣島の生き生きとした野生の美に満ちていて、島の自然は衰えているという見方が思い込みに過ぎないことを教えます。むしろ衰えているのは、わたしたちの見る眼なのかもしれません。

 今回の企画は、単に美しい作品を「見る」というだけではなく、仲程長治の眼差しが「何を捉えているか」、その本質に迫ります。


12月14日[水]19:00~21:00 [18:30開場]
参加料:1500円

千代田区西神田 2-4-1( 財 ) 東方学会新館 2F

主催:ユージンプランニング
予約・お問い合わせ:
ユージンプランニング(平日 10時~17時)

Tel 03-3239-1906 /Fax 03-3239-1907
E-mail manabiya@yujinplanning.com
*ご予約の際はお手数ですが、イベント名をご明記下さい。


仲程長治(なかほど・ちょうじ)

1959年石垣島生まれ。20代の頃より沖縄県内であらゆる分野のアートデザインを手がける。2008年より東京、沖縄、韓国、スイスにて写真展覧会を開催。2015-2016年、朝日新聞デジタル「&w」にて、フォトエッセイ「琉球グラデーション」を連載。

2017年公開予定の映画『カーラヌカン』(浜野安宏監督/Gackt主演)では、スチール並びに劇中写真の撮影を担当。現在は、琉球・沖縄の時代と世代をつなぐカルチャーマガジン『モモト』のアートディレクター、株式会社との専属写真家として活動中。公式サイト:http://choji-nakahodo.jp 


1214


『母ぬ島』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/05

霊力と霊魂の図形

 刺青における「霊魂」は、次の3タイプで描かれている。

 宮古島では、トーテムと霊魂の座である尺骨頭部は同型だった。

Photo_3

 これをぼくたちは、「盥(タライ)」を起点にした「高膳(タカゼン)」への遷移として捉えてきた。「盥」の前に置けるのはシャコ貝である。

Photo_7

 奄美、沖縄で典型的なのは、貝と蝶の対をなす尺骨頭部文様だ。

Photo_4

 この場合、動物も図形も異なるので由来は明確だ。

 いま、ぼくたちはこれに加えて徳之島をまた別の系列として取り上げよう。ここでは、「徳之島流刺青」とはちがう視点で、尺骨頭部のトーテムと霊魂の座はあくまで重視されたと仮説してみる。

Photo_5

 この一見すると異なる図形は、左から右への遷移として理解することができる。

Photo_8

 つまり、徳之島では「霊魂」は、ある意味では「トーテム」と同じものと捉えていたことになる。しかし、これが宮古島の場合と違うのは、宮古の場合、「霊魂」はもうひとつのトーテム、言い換えればもうひとつの「霊力」と捉えられていることだ。

 これに対して徳之島の場合は、トーテムはいちど分解を受けて再編されている。だから、言うなら、「霊魂」とはトーテム(霊力)が再編されたものなのだ。

 別の視点からえば、この「霊魂」図形は「蝶」に見える。言い換えれば貝は蝶になり、貝と蝶も別のものとしては考えられていないことになる。これはある意味では当然で、人間は「貝」から生まれ、死者になれば「蝶」に化身するという死生観に符合している。

 さて、奄美、沖縄では「霊魂」は、マブイとして「霊魂」寄りに捉えられていくことになる。それを図形として見るにはどう解すればいいだろうか。

 まず、「貝」トーテムから図形として何が抽出されるか、具体的な貝の想定から接近してみる。

Photo_9

 この図解から分かるのは、点を含む円と四角形は、どちらも貝から抽出されることだ。

 この成り立ちをみると、円と四角形、十字と三角形の関係は次のようになる。

Photo_10

 十字は、円や四角形、言い換えれば、貝を分割する図形として現れる。そして、四角形を十字で分割した結果として三角形は現れることになる。

 まず、だから、「十字」とはどちらかといえば、トーテムに由来し抽出されている。

Photo_11

 これは、右手尺骨頭部に「十字」が滅多に現われない理由でもあると思う。

 また、三角形は四角形(トーテム)を分割することで出現する。これは、初期の「霊魂」が、分解された「霊力」のように考えられたことを意味するのではないだろうか。それは、徳之島の霊魂の捉えられ方と符合する。

 奄美、沖縄では、霊魂の数を増やすことが「霊力」を増すこととして捉えられている。そのことも、霊魂が、分割された霊力として捉えられたことを示唆するように思える。徳之島の霊魂図形は、奄美、沖縄における霊魂の捉えられ方を記憶したものなかもしれない。

 宮古島   もうひとつの霊力
 奄美・沖縄 分割された霊力

 これが、それぞれの初期の「霊魂」観だということになる。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/04

「琉球弧・奄美の精神史」

 12月6日に、「琉球弧・奄美の精神史」と題して話をします。

 主催者の意図は、沖縄の陰で知られていない奄美の歴史を話してほしいということだと思います。米軍統治下にあったのを知らなかった、与論に行ったら島の人が沖縄にシンパシーを持っていて驚いたと言われましたので。

 ぼくが「奄美の歴史」を話すのには違和感を持つ奄美の島人もいるでしょうし、ぼく自身も教科書的なことを話したいとは思いませんので、「琉球弧・奄美の精神史」と題しました。余計、重くなっている気もしますが、このほうが座りがいいのです。

 それにしても、日ごろ「琉球弧」という言葉を使い本も書いているというのに、「奄美の歴史」とお題を出されると、重たい気分になるのは困ったものです。

 この気分的な重さは、「奄美」という言葉でくくられると、そこに大島を中心とした磁場があり、そのなかで奄美のなかでは少数者の側にいる与論の人が「奄美」を語ることに由来している気がします。そのうえ奄美の複雑骨折が、ビジネス目的で参加する本土の人に伝わるだろうかという不安もあるのでしょう。

 しかしせっかくの機会です。境界の島の人にしか語れないこともあると思い、遅い準備に取り掛かります。


----------------------------------------------
幕末、長州藩の若者5人が、命をかけてイギリスへ渡った。
密航・・・、である。
幕府の命により、海外渡航は一切を禁じられていた時代。
見つかれば死罪・・・。
しかし、彼らは行った。日本の未来のために。近代国家を創るために。
そして帰国後、政治、工業、鉄道、造幣さまざまな分野で活躍する。
このたびは〝経営ファイブ〟の名のもとに集った、日々挑戦している
5人の経営者たちが、それぞれの分野でのビジネスを存分に語ります。


〜講師のご紹介〜

・マーケティング・クオリア  代表 喜山 荘一 氏
・Grant,LLC 代表  橋川由利 氏
・株式会社リアルクロス​ 代表取締役社長 山口義徳 氏
・ ウチダサロン事務局 アテンダー 五十嵐 淳 氏
・一般社団法人日本女子力推進事業団(GirlPower)代表理事 池内ひろ美 氏
・ザメディアジョングループ 代表 山近義幸

----------------------------------------------
【日時】2016年12月6日(火)13:30〜18:30(13:00受付)

【会場】アイピック株式会社内会議室
【住所】東京都千代田区岩本町3-5-5 ユニゾ岩本町3丁目ビル2階
【アクセス】都営新宿線岩本町より徒歩3分、JR秋葉原より徒歩9分
【会費】2,000円 終了後、懇親会(実費)を予定しています。

【プログラム】
13:00 受付
13:30〜13:40 オープニング
13:40〜14:30 マーケティング・クオリア  代表 喜山 荘一 氏
(休憩10分)
14:40〜15:10 Grant,LLC 代表  橋川由利 氏
(休憩10分)
15:20〜16:10 ザメディアジョングループ代表 山近義幸
(休憩10分)
16:20〜16:50 ウチダサロン事務局 アテンダー 五十嵐 淳 氏
(休憩10分)
17:00〜17:50 株式会社リアルクロス​ 代表取締役社長 山口義徳 氏
18:00〜18:30 一般社団法人日本女子力推進事業団(GirlPower)代表理事 池内ひろ美 氏

終了後、懇親会へご案内いたします。

【主催】ザメディアジョングループ代表 山近義幸
【アンバサダー】株式会社シーエフエス 代表取締役 藤岡 俊雄氏

【お問合せ】
株式会社ザメディアジョン・エデュケーショナル
東京都品川区西五反田1-17-6 トミエビル3F
TEL/03-5719-6111 FAX/03-5719-6112
-------------------------------------------------------------------------------------
12061


12062


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/03

「貝」から「十字」へ

 尺骨頭部について、「貝」の文様展開を一望してみる。

Photo_12

 沖永良部島の「貝」ほど具象的なデザインはないので、左端に位置づける。四角形と円の貝は、具象的な例がないため段を下げた。

 ここに尺骨頭部以外の部位の文様も加えてみる。

Photo_10

 この遷移で重要なのは、円、四角形、十字はどれも「貝」から析出されることだ。

 ただ、十字については、「蝶」文様からも得ることができる。

Photo_11

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/02

徳之島流刺青

 徳之島は、琉球弧のなかで突出して複雑な文様を生み出していた(参照:琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン)。この島でハンズキと呼ばれた刺青(tattoo)には、まだ奥行きがあるかもしれない。

 徳之島の手の甲の刺青は、この文様を基本要素にして、三つのタイプの文様が組み立てられていた。

Photo_2 

 左そのものが最も多く、次いで真ん中の系列、右の系列になる。どれも上の基本形を文様の要素に組み込んでいるのが分かる。

32_23_2

 この基本要素は、尺骨頭部にも現われるが、尺骨頭部にはもうひとつ頻出する文様がある。

4

 これは一見すると、上の基本要素とは異なるものに見える。この文様は右手に多く出現するので、左手の尺骨頭部文様と対応させてみる。

4_2 4

 こう配置してみると、右の文様が左の文様の四つ角をいちど分離し、180度回転させて、十字の内側に食い込ませることで生み出されているのが分かる。つまり、このふたつの文様は、つながってるのだ。これは、ふたつが同じものであることを意味している。

 同様の成り立ちは、宮古島の手の甲に追加される文様についても見られた。

Photo_3 Photo_4

 ただ、宮古島の場合、左の「トゲヤ」をひと筆書きすることで、右の「ハサミ」が得られたが、徳之島の場合、図形の分解と再構成が行なわれていて、ここでも徳之島が霊魂思考を発揮させているのが分かる。

 ここで重要なことに気づかされる。

 徳之島の尺骨頭部の文様の再構成と、基本要素を並べてみる。

4_2 4 Photo_2

 ここで刺青は、「点・線」から「面」へと発達すると仮定すれば、左から右への文様の遷移を想定できる。

 これらが意味としては同じ文様だとしたら、徳之島の尺骨頭部と手の甲はどれも同じ文様のバリエーションだということになる。思い切って文様が生み出される順序を想定してみれば、下図が得られる。

Photo

 基本要素を重ねた〔1〕は、手の甲で最も頻出する文様だ。それに次ぐ〔2〕は、基本文様の背景に四角形を持ち、〔3〕はふたたび起点の文様を包括している。

 驚くことに、手の甲だけでも30種類以上ある多様な文様はどれも「同じ」なのである。そして、これが何を意味するかといえば、起点のデザインが示すように「貝」である。これは、〔1〕の文様が「米の花」(三宅宗悦「南島婦人の入墨」)と呼ばれていることにも符合する(貝-太陽-花)。徳之島では霊魂思考によるデザイン化が突出している。しかし、徳之島でもやはり霊力思考が豊かなのである。

 こうしてみれば、宮古島を除く他島では、尺骨頭部の文様が左右で異なるのが原則なのに、徳之島ではその原則は壊れ、左右共通であることや、左右が逆転することも理解できる。要するにどれも「貝」なのだ。

 しかし、尺骨頭部は、左がトーテムの座であり、右が霊魂の座だった。それは何より重視される要素だった。その原則はどこへ行ったのだろう。

 それがつまり、手首内側の「蝶」なのではないだろうか。ぼくたちは、これまで尺骨頭部というより、手首が重視されてきたのではないかと仮説してきた。その考えにしがたえば、徳之島では尺骨頭部は左右ともトーテムの座であり、手首内側に霊魂の座を設けたということだ。

 そこで、徳之島文様の典型例を挙げることができる。

Photo_62_4

 ここまできてようやくぼくたちは徳之島の刺青を理解するところまでたどり着いたことになる。徳之島は、基本要素を元にした組み立てという方法で他の島には見られない多種の文様を生み出した。それだけではなく、その配置においても最も重視された尺骨頭部の意味の組み換えを行っている点でも独自であり、まさに徳之島流ともいうべきデザインを開発したのだ。

 最後に、左手の尺骨頭部に現れるたった一例の文様を挙げよう。

10

 これは何だろう。蟹あるいは、殻のないヤドカリに見える。これは「貝」から、蟹、ヤドカリへとトーテムが追加されていったとき、こうした文様も生み出された痕跡なのかもしれない。






| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/01

『シャイニング・ガール 凛と輪廻と幻獣龍』(吉行ギズモ)

 先日、知人に「わたしは現実的な人間だから、『君の名は』とか観ても、こんなのあるわけないと思っちゃうんですよ」と言われ、あるわけなくもないということを説明するのは難しいかなと思った。でも、「ひとりで妄想するのは好きなんですけどね。それはあくまで妄想だから」と、続けるのを聞いて、意外に接点はあるぞと思い返した。

 時間は直線的に一方向に進むという考え方と、反復するという感じ方がある。一方向に進むととらえれば、自分は生誕から今まで生きてきて、死に向かっていることになる。そして生んでくれた母や自分の子供は別の時間軸の過去と未来をたどっている。でも反復と捉えれば、亡くなった、たとえば祖母のいくぶんかはぼくのなかで生きているし、また、これから生まれる誰かの生を生きていることにもなる。

 時間が一方向に進むというとき、覚醒が重視され、睡眠はその断絶あるいは休止として軽視されている。せいぜい、無意識の発露として分析の対象になるくらいだ。でも、反復する時のなかでは、夢はもうひとつの現実としてリアルだ。

 夢のなかでは、覚醒している現実のなかでは荒唐無稽な出来事も平気で進行していく。まるで物語みたいに。しかし、それもリアルとみなせば、現実と夢は相互に浸透しあって、物語と現実はメビウスの帯のように、いつの間にか入れ替わったりする。

 いまは一方向に流れる時間のとらえ方が圧倒的に強いから実感が湧きにくいが、反復する時に権利を与えれば、それが支配的だった文字なき時代の思考のなかへ入ってくことができる。そこでは、反復を繰り返して、自分をさかのぼれば、祖先崇拝でいう「先祖」にたどり着くのではなく、人間を成り立たせていると考えられた精霊に行き着く。

 だから、この作品のタイトルの「輪廻」も「幻獣龍」も、反復する時間のなかではリアルなのだ。ふつうファンタジーと呼ばれている作品は、ふだん感じられなくなっている反復する時間の流れのなかにいることを生き生きと感じさせてくれるジャンルだということなのかもしれない。

 それは、非現実的でありながら、どこか思い当たる節がある、リアルだという感触としてやってきて、そしてほんのちょっと現実を見る目が優しくなったり、別の見方を促されたりするようになる。この作品もそうだ。でも、この作品は徹頭徹尾フィクションとして描かれているのではなく、あくまで日常の延長にファンタジーが接続されているところが、返って反復する時間を生きることをよく伝えているのではないかと思えた。言い換えれば、著者はファンタジーはただの空想世界ではないと言っているのだと思う。

 これで件の人を納得してもらう自信はないけれど、時間を反復と感じることがあるのは誰でもそうなのだから、そのことだよと言えば、この作品の入り口まで連れていくことはできるかもしれない。

 この作品はシナリオとして書かれている。ぼくは「脚本」というものを見たことがなかったので興味深かったし、スラスラ読めるのも心地よかった。中身の魅力は、「シャイニング・ガール: 凛と輪廻と幻獣龍」過去と未来を行き来する巫女」で紹介されている。


『シャイニング・ガール 凛と輪廻と幻獣龍』








| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »