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2016/11/16

宮古諸島の「針突き(tattoo)」デザイン1

 他の島々が塗りつぶす面を必ず持つのに対して点と線だけで針突きを構成しているのが宮古の島々だ。しかし、針突きが「点」と「線」に始まり「面」を持つのだとすれば、これは簡素化、省略化ではなくて、初源の方法を保存しているのかもしれなかった。

 尺骨頭部と並んで重視されている「ウマレバン」から入ってみる。「ウマレバン」は手首内側の真ん中に記される点「・」で、「富貴の印であり、後生に行けば先祖が神様に見せなければならない文様であって、これがないと神様から素手で牛の糞をつかまされた」(市川重治『南島針突行』)と言われている。

 「ウマレバン」が、後生で先祖に見せなければならないという謂れは、与論島の「後生の門」と同じだ。ここで、与論の「後生の門」と宮古の「ウマレバン」を並記してみる。

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(図1:左2つ・「後生の門」、右「ウマレバン」)

 こうしてみれば、真ん中の「後生の門」の黒と白を反転させれば、「ウマレバン」になることが分かる。つまり、「後生の門」と「ウマレバン」は同位相にある。ぼくたちは与論の「後生の門」を、貝の口だと見なしたが、そこには「太陽」の意味も込められることになるから、「ウマレバン」は「貝-太陽」であると言っていい。これは、本土のお宮参りに相当する琉球弧の「太陽拝み」で、額につける墨と同じ意味を持っている。

 ぼくたちはここで、宮古の場合、点や線を面としても見るべきであるという示唆を受け取ることができる。

 そこで、「ウマレバン」とともに重要な尺骨頭部の文様に入っていこう。宮古の針突きを象徴するとも言っていい文様は「タカゼン(高膳)」と呼ばれている。

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(図2:タカゼン、小原一夫『南嶋入墨考』)

 左手の尺骨頭部として見た場合、もっともよく使われたこの文様は、小原に少し遅れて調査した三宅宗悦が採取した「盥(たらい)」にその前身の姿を求めることができると思える。

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(図3:「盥(たらい)」、三宅宗悦「南島婦人の入墨」)

 推移としてみても、想定しやすい。

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(図4:盥とタカゼン)

 さて、「盥」に現れる「十字」について、ふつう「+」「×」は、「禁忌」を意味するが、多良間島ではそれを「アデマ」と呼ばれていることに、市川は立ち止まっている。アデマは「豆腐を製造するとき豆をする石臼をたらいに支える支柱のこと」だ。

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(図5:アデマ、市川重治『南島針突行』)

 すると、十字は「禁忌」を表わすだけではなくて「豊かさの象徴」でもあるのではないかと市川は考えている。上図の「盥」は木製だが、実際に臼の上部にも同じく十字の支柱は設けられる。「臼」は女性器の象徴だから、ぼくたちは「臼」を「貝」に差し戻すことができる。実際、「タカゼン(高膳)」も、大きなお椀と見なせば、それを原形にさかのぼると、シャコ貝などの大きな二枚貝の殻にたどり着く。

 そこで、トーテムの座である左手の尺骨頭部の「タカゼン」は、「貝」を表現していると見なすことができる。

 ところで不思議なことに、宮古島では、右手の尺骨頭部も「タカゼン」で表現される。これはどう考えればいいだろう。

 尺骨頭部の左手と右手とでは、「トーテムの座」と「霊魂の座」という違いが認められる。それは琉球弧に共通しているのだから、右手は左手とは意味が違うと仮定できる。

 ぼくたちはすでに喜界島の例で、「蝶」の表現である、いわゆる「五つ星」から、「タカゼン」と同じ文様が出現する推移を見てきている(参照:「喜界島の「針突き(tattoo)」デザイン」)。

 実際、宮古島の尺骨頭部以外の文様では、下記の十字が矢になった文様も見い出せるから、喜界島と同様の抽象化が思考されたと見なすことはできるだろう。

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(図6:十字に矢、小原・同前)

 これで、ひと通りの意味では、左手の「タカゼン」は「貝」であり、右手の「タカゼン」は「蝶」と見なすことができる。右手の場合、「五つ星」という以上には名称の由来が不明になっているのと同様に、「タカゼン」も元の名称を失ったと考えられる。

 しかし、ここはもうひとつの視点で見る必要もあると思える。それというのは、トーテムである苧麻(ブー)のことだ。琉球弧の他の島々では、トーテムとしての苧麻(ブー)の表現は明瞭に現れないが、宮古では、宮古上布の文様と針突きの文様が呼応しているのだ。市川も、機織りの生産の多寡と針突きの文様の多寡が対応すると聞き取りしている(同前)。

 宮古の針突き文様は、織物の文様と呼応している。言い換えれば、身体を織物と見なしている。それは奇異なことではなくて、苧麻(ブー)という植物がトーテムであるということは、身体を植物として見なすことだから自然なことだ。宮古の針突きが、点と線で構成されるのは、それ自体が「苧麻(ブー)」を表現したものであることを示唆している。

 鎌倉芳太郎の『沖縄文化の遺宝』には、彼が収集した資料のうち、「宮古仲宗根所蔵本」の「文身研究」が載せられている。これは、1910(明治43)年のもので、文身禁止令から11年しか経過していない時点の資料であり、小原、三宅の調査より古い顔を覗かせてくれる可能性を持っている。そしてそこには、「タカゼン」の他に「ツンギ(紡ぎ)ヤマ」として、下記の文様が載っているのだ。

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(図7:ツンギヤマ)

 ツンギヤマは糸車に見えるではないか。これも、「タカゼン」の前身の文様であっても不思議はない。「タカゼン」の十字を囲む折れ線が、直角というより、どこか丸みを帯びているのも頷ける(「貝」であっても同様だが)。

 だから、左手尺骨頭部の文様は、「苧麻(ブー)」表現である可能性があるのだ。

 この場合、右手はどう見なせばいいだろう。

 ここでも考えられることはある。それは、宮古、八重山の霊魂観だ。奄美、沖縄では、霊魂が抜けたときに戻す儀礼を「霊魂込め(マブイグミ)」と呼ぶ。それを宮古では「タマスウカビ(霊魂浮かべ)」と言う。「浮かぶ」という言葉からは分かりにくいが、植物片が水に浮かんでくっつくことが霊魂が戻ったことと見なすことから来ている。「霊魂」は「込める」のではなく、「つく」のである。これは八重山で「タマスヅケ」や「アマスアビャー」と呼ばれることにより明瞭で、霊魂は「つける」「浴びる」のである。

 詳述する暇がないが、これは宮古、八重山では、霊魂が、「霊力」として捉えられていることを意味する。宮古では、奄美、沖縄で「セジ」と呼ばれる「霊力」に近いものとして「霊魂」が捉えられているのだ。この場合、霊魂は「もうひとつの霊力」として捉えられることになるから、左手のトーテム表現がそのまま、右手に移行することになる。それが、左右の尺骨頭部が同じ文様になる理由かもしれないのだ。

 宮古、八重山では霊魂の発生を「蝶」としてではなく、「苧麻(ブー)」を媒介にして捉えたとしたら、こちらの方が可能性は高いのかもしれない。そうだとしたら、左手は「貝と苧麻(ブー)」であり、右手は「苧麻(ブー)」ということになるだろう。

◇◆◇

 さて、宮古で手の甲を代表するのは、「トゥヌピサ(鳥の足)」と呼ばれる下記の文様だ(どちらかといえば、左手に多く出現し、左右共通の場合も多い)。

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(図8:トゥヌピサ)

 宮古では、面が点や線として表現されることを踏まえれば、これは与論島の左手尺骨頭部の延長で捉えると考えやすい。

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(図9:左・与論島左手尺骨頭部、右・トゥヌピサ)

 要するに、これも「貝-太陽」だ。これが右手により多く出現するのは、シントメリーを志向したものだと見なせる。

 興味深いことに、手の甲は「トゥヌピサ(鳥の足)」で終わらない。所狭しと、他の文様が出現するのが宮古の特徴だ。

 最も多く出現するのが、右手の「鋏(ハサミ)」で、それに呼応しているのが左手の「トゲヤ(ツガ)」である。

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(図10:トゲヤとハサミ)

 この文様は、左手の「トゲヤ(ツガ)」を元にしていると考えればいい。それは、指の背の文様をひっくり返したものに他ならない。そして、「トゲヤ(ツガ)」をひと筆書きにして、直線を曲線にすれば「鋏」は得られる。つまり、一方は他方の変形と見なせばいい。

 それと似たことは、「鋏」に次いでよく出現する「握り飯」と「ウミス(箸)」についても言える。

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(図11:握り飯と箸)

 これはひとつの長方形を思い出せばいい。

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(図12:握り飯と箸の構成)

 こう下敷きを敷けば、点で線で面を表わす宮古表現のひとつであることが分かる。阿嘉島で、右手の指のつけ根の類楕円が「握り飯」と呼ばれていたことを思い出してもいい。これも「貝」表現のバリエーションなのだ。

 「鋏」、「握り飯」に比べると、頻度は劣るが、手の甲の文様として挙げる必要があるのは、「カシギ(桛)」と「フツンケヤ」である。「カシギ(桛)」が左に出現することが多いのに対して、「フツンケヤ」は右に出現することが多いが、左手の「カシギ(桛)」と並ぶこともあり、左右の手の対という配置はやや失われている。

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(図13:カシギとフツンケヤ)

 カシギは、カセ(桛)で、紡いだ糸を巻き取る機織りの工具のひとつだ。「フツンケヤ」は、「人と人が対し合うこと、口むかうさま」と聞き取りされている(市川・同前)。

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(図14:カシギ(桛)、市川・同前)

 これも下敷きを敷いてみる。やはり長方形だと思えるが、ここで実際にあった例を元にすれば、沖永良部島で由来が分からなかった、手首内側の文様が思い浮かぶ(参照:「沖永良部島の針突き(tattoo)デザイン」)。これを元にすれば、やはり線の辿り方で、「カジキ」も「フツンケヤ」もひとつのイメージを元に生まれているのが分かる。

 同時に、由来が不明だった沖永良部島の手首内側の文様も「貝」と見なせるのに気づかされることになる。

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(図15:カシギとフツンケヤ構成)

 「鋏とトゲヤ」、「握り飯と箸」も、「カシギ(桛)とフツンケヤ」にしても、ひとつのものの違う表現型なのだ。だから、これらは対として出現することが多いのである。

 こうしてようやく宮古島の針突きデザインの典型例を抽出することができる。左が、「ウマレバン」はあるが、「フツンケヤ」を欠くもの、右は「ウマレバン」を欠くが、「フツンケヤ」も入っているものだ。

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(図16:宮古島の典型例)

(続く)





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