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2016/11/18

八重山の「針突き(tattoo)」デザイン

 小原一夫が『南嶋入墨考』で挙げている八重山のデザインは、石垣島の一例のみだ。しかし、これは調査が行き届かなかったというだけではないのかもしれない。1975年に調査した市川重治も、石垣島で完全な文様を持つ人とは、たった一人しか出会えなかったと書いている(『南島針突行』)。

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(図:石垣島、小原・同前)

 そこで、三宅宗悦が採取した八重山、与那国島の例は貴重なものになる。 

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(図2:上段左から、黒島、与那国島、波照間島、竹富島「南島婦人の入墨」)

 ぼくたちはここで、八重山のデザインが、宮古仕様ではなく、沖縄仕様で元に戻った印象を受ける。幸い、三宅は名称も聞き取っている。

 つけ根(右手):ジバゴー(石垣島)、ズバク(黒島)(重箱)。黒島では「フクラビ」とも。
 つけ根(左手):マンダナ(糸繰り器)。

 甲(右手):ツキンガナス(月・石垣島)、ウブツキ(黒島)。
 甲(左手):マンダナ(糸繰り器)。

 尺骨頭部(右手):クデマ(石垣島)、マンダナ(黒島)
 尺骨頭部(左手):八つマンダナ、アマン(石垣島)、ムリブシ(黒島)。

 まず、もっとも目を引くのは、右手尺骨頭部の、いわゆる「五つ星」が、黒島で「マンダナ(糸繰り器)」と呼ばれていることだ。三宅は、もうひとつの「クデマ」(石垣島)について説明していないが、これは奄美、沖縄で「クジマ」と呼ばれる「ひざら貝」ではないかと思える。「ひざら貝」はトーテムになった貝のひとつである(参照:ヒザラガイ「市場魚介類図鑑」)。

 宮古島の例を踏まえれば、「糸繰り器(マンダナ)」は「貝-苧麻(ブー)」由来のものと見なせるが、また「貝」そのものとしても呼ばれている。不思議なことに形態は、「蝶」由来の「五つ星」でも、名称は「貝苧麻(ブー)」を指すのだ。

 これは、琉球王府による支配の影響を物語るものではないだろうか。つまり、もともとここには別の文様があったのではないだろうか。

 その文様もある程度、推測は可能で、左手の甲とつけ根の「マンダナ」を見ればいい。手の甲の文様は、尺骨頭部の延長で描かれることを思えば、それは同じ名称のマンダナ由来のデザインであったと考えられる。

 これは重要なことを示唆していると思えるか。一見、与那国を含めた八重山の文様は、宮古島とは似ていないように見える。しかし、宮古島で仮説したように、右手の尺骨頭部が、霊力としての霊魂として左手尺骨頭部と同じ文様が描かれた点について、八重山と同じだということになるのだ。それは、八重山で「霊魂込め」を「タマスアビャー(霊魂浴び)」と、霊力表現で呼ばれることに符合している。

 すると、もうひとつ重要なことが分かる。

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(図3:徳之島の基本図形)

 徳之島のなかで、もっとも重視されていた上図の文様と、左手甲の「マンダナ」は酷似している。しかし、両者は由来を異にしていると考えなければならない。「マンダナ」が「貝-苧麻(ブー)」の由来を持つのに対して、徳之島の場合は、「蝶」の胴体部の図形を再配置して構成されていたことだ。その違いは、徳之島の場合、三角の曲線が強くなっているとに示されていると捉えることができる。

 手の甲に着目すれば、左のマンダナに対して、右が「月」名称と呼ばれるのは、与論島の手首内側の文様で、左手の「後生の門」に対して、右が「月」と呼ばれたことに呼応している。これまで見てきたように、「後生の門」は「貝」だから、左手の「貝」に対して、右手には「貝」が生み出す「月」が描かれていて、左右でひとつの世界観を表現していることになる。また、これが「太陽」でないのは、「太陽」より「月」が主役だった時代の痕跡なのかもしれない。

 そうということは、八重山の文様は、沖縄仕様に塗り替えられてしまっているが、呼称を通じてより古層の思考を残したのだと言える。見かけにだまされないように。八重山の針突きデザインはそう言っているのではないだろうか。






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