アイヌの口唇文身モチーフは鮭ではないだろうか。
ばくぜんと「熊」だと思ってきたが、そうではなく、アイヌの口唇文身のモチーフは、「鮭」なのではないだろうか。
そう思ったのは、北アメリカのハイダ族のカジカを表した顔面彩画を見てのことだ。
カジカという魚は釣り針や、すねあての毛織物のモチーフになり、トーテムポールにも描かれるからハイダ族のトーテムのひとつと見なしていいだろう。
カジカは、人間の顔面に彩画で描かれる場合、[彩画を施される人の]唇の直上に描かれる二本の棘で示されるのが一般的である。(フランツ・ボアズ『プリミティヴアート』)
実際、カジカには鰓蓋上に棘がある。その棘を口元にはっきりと表現しているわけだ。ハイダ族の場合、文身ではなくペインティングだが、これはアイヌの口唇文身に似ている。
(児玉作左衛門、伊藤昌一「アイヌの文身」『人類学・先史学講座. 第3部』)
少なくとも魚トーテムを描く場合、口元に着目する例があるのは参考になる。そしてハイダ族のカジカは、アイヌにとっては鮭(サケ)だ。
ここで、もうひとつ連想を呼び起こすことがある。
琉球弧の文身の場合、沖縄島では、年齢階梯ごとに文様の場所を増やし、あるいは大きくしていった。上図は、糸満の場合だが、老人の域に達した最後の「針突き」では、文様を一気に広げている。左手の甲の拡張形は「扇」と呼ばれ、那覇ではこれが円形で「ティナー」と呼ばれた。右手甲は、糸満では「丸」と記されているが、これは「ティナー」と同じ意味だ。
「扇」は、(女性器=貝)の象徴であり、「ティナー・丸」は、(太陽=貝)の象徴である。これは貝トーテムを意味しているから、文様を拡張することは、貝としての精霊(カミ)に近づく、あるいは半分、精霊(カミ)になることを意味していた。実際、琉球弧では、古老は神(カミ)として敬われてきた。
琉球弧の例を踏まえると、アイヌの口唇文身が、徐々に文様を広げることにも視点を持つことができる。これは鮭トーテムに近づくことを意味していたのではないだろうか。
アイヌの口唇文身の場合、最初、上唇の溝を埋めるように文身が施されている。これは鮭の幼魚に見られる斑点(パーマーク)を象徴化したものに見える。あるいは、幼魚には口上にも実際に斑点が付いているのかもしれない。
そして長ずるにつれて、厚い唇に見える鮭の口の特徴が描かれていくことになる。上に剃りあがる曲線は、鼻曲がり鮭に特徴的な鮭の口の曲線を意識しているようにも見える。
アイヌの口唇文身が「鮭」をモチーフにしているとしたら、琉球弧の文身と同様に、文身拡張は「鮭」トーテムへの変態を意味していると考えられるのだ。
これはまだ詰めが甘いが、ひとつの仮説として書き留めておきたい。
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