「イヤの初」(金久正『奄美に生きる日本の古代文化』)
金久正は、奄美大島では「そうなる宿命だよ」というとき、「そんなイャンハツだよ」という表現を使うとしている。与論なら、ヌサリというところだろうか。
金久はこれを「い矢の初(はつ)が挿される」と解している。「そうなるように、い矢の初(はつ)を挿されているのだ」という予祝として捉えているわけだ。
この「宿名観」を表わしたものが、「この島の片田舎」にはまだ行なわれているかもしれない。
妊婦が御産の床につき、赤子が生まれて、やがて「オギャー」と、うぶ声を発するとまったく同時に、誰か家の者が表戸口の所へけたたましく走って行って、「イャンハツヤ、吾(ワ)ガサチャド」(い矢の初は、わたしがさしたぞ)と、大きな荒々しい声で叫びながら、先の尖った棒切れを表戸口の上の軒に挿すのである。この棒切れのことを喜界島では「ヤギ」(矢木)といっている。棒切れの代わりに台所の包丁を用いる所もある。
金久は、「い矢」は、「射(い)」にも見えるが、「斎(い)」または「忌(い)」の意味だろうとしている。
谷川健一はこれをそのまま踏襲して書いている。
イヤは斎矢であり、忌矢である。最初の斎(忌)矢がイヤンハツで、赤子の産声を聞きつけた邪神がこれをさすと、赤子は悪い運命の下で人生を送るようになるということで、ウブガミがその機先を制するのである。
イヤが、宿命というほどの意味を持つのであれば、それは「斎(忌)矢」ではなく、「胞衣」から来ているものだろう。この「島の片田舎」の胞衣埋めことは書かれていないので分からないが、竈の後の軒下が原型にあるものとすれば、ここでは対象的な仕草が見られる。
胞衣埋め 竈の下 胞衣を埋める
イヤの初 表戸口 軒に挿す
この反転は、胞衣埋めが、赤子と胞衣の関係に向けて行なわれるのに対して、「イヤの初」を挿すのは、赤子と「悪霊」に向けて行なわれている。こうした対照もまた、イヤが胞衣由来であることを暗示していると思える。
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