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2016/11/19

琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン

1.主要部位の文様

 ここまできてぼくたちは、琉球弧の針突きデザインについて概観することができる。下表は、主要な部位について、各島でより古層の思考を感じさせることに視点を置いて、典型例を挙げている。

 左手。

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(図1:左手主要部位の文様)

 これまで、指の背については取り上げて来なかったが、ここは後ほど書くように、「蝶」の胴体部の「山」型のデザインから構成されていると見なしてきたからだ。そして、針突きがトーテムを表すものであれば、ここには「蝶」の他に、「蛇」も重ねられているように見える。久米島ではここを「百足」と呼ぶのはそのことを示唆しているだろう。また、宮古では「蝶」は出現しないとしたら、丸みを帯びた矢を持つ文様は、「蛇」と、蛇の次にトーテムになった「トカゲ」が重ねられているのかもしれない。

 右手。

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(図2:右手主要部位の文様)

 こうして概観してみると、「トーテムと霊魂」の座と見なしてきた尺骨頭部は、小さくて施術の難易度も高そうな箇所であるにもかかわらず、細やかにデザインが決められているのが分かる。やはり、この部位は琉球弧の針突きにおいて核心をなすのだ。

 しかし同時に、沖縄島や八重山で失われているので気づきにくいが、「あの世で先祖に見せる」という謂れからすれば、そして針突きをするのに「最も痛かった」(三宅宗悦「南島婦人の入墨」)ことも合せると、手首内側の「ウマレバン-後生の門」文様も重視されていた。ということは、尺骨頭部を含めて手首、今でいえばブレスレットの位置がことのほか重要だったのではないだろうか。

 下の与路島の針突きは、手の平と甲では違う女性のものだが、ほぼひとつながりになっているのが分かる。採取した三宅宗悦は、「手首外側では途切れず寧ろ内側の橈骨側で切れてゐる」(「南島婦人の入墨」)と書いている。

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(図3:与路島の針突き)

2.小原図解の再編

 次に小原一夫が『南嶋入墨考』で図解した、尺骨頭部の展開についても再編しておきたい。

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(図4:尺骨頭部の文様)

 同書には恩恵を受けてきたわけだが、しかし細部を確かめるまではこの図解に束縛されてもきたので、イメージを更新しておきたい。その最大の理由は、上図下段の左手の文様はともかく、上段の右手の文様において、尺骨頭部に例外的にしか出現しない斜め十字「×」を終点に置き、かつ文様を「十字」で象徴させ、「魔除け」の意味に収斂させてしまったことだ。これはいささか強引だったと言わなければならない。

 ぼくたちはすでにこれを「トーテムと霊魂」の座の「貝と蝶」として見る眼を持っているので、違う展開を持つことができる。

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(図5:尺骨頭部の文様展開)

 四角で囲ったものは、尺骨頭部以外から抽出したものだ。

 こうしてみれば、十字「+」は、「蝶(霊魂)」文様からも「貝(トーテム)」文様からもたどり着けることが分かる。しかし、十字「+」は右手尺骨頭部の典型や象徴ではなく、その手前の宮古島の「タカゼン」に収斂していることも了解されてくる。

 また、気づかされるのは、いわゆる「五つ星(蝶)」からは四角形(長方形)が析出されていないことだ。四角形(長方形)は、貝からの析出が優位だったのだ。このことは、「蝶」の形態が、背守りとしても、祝女の髪飾りや胴衣としても「三角形」で引き継がれていることからも頷ける。

 「貝」は円や螺旋、四角形として、「蝶」は三角形として析出されたのである。言い換えれば、島人は、円や四角形に「貝」を見るし、三角形には「蝶」や「霊魂」の形態を見るのである。

 また、これらの展開を見れば、徳之島の基本図形以外は、尺骨頭部のデザインが起点になって、他の部位の文様デザインが析出されているのも分かる。

 ただ、「十字」が「貝」からも「蝶」からも析出されるように、デザインの変形には融合する側面を持っている。それはちょうど、霊力思考と霊魂思考が織物として編まれていくのに対応している。そこで、起点となる徳之島の基本図形と終点に位置する八重山の手の甲文様は似たもの同士として出会うことにもなるのだ。

3.霊力思考と霊魂思考

 ここで霊力思考と霊魂思考の表現として、針突きのデザインを追ってみよう。

 「トーテム」由来の文様は霊力思考の表現であり、「霊魂」由来の表現は霊魂思考と見なせるが、明確にするためにいくつかの前提を設けておく。(霊力思考は「黒」、霊魂思考は「白」で表した)。

 ・指の背は、霊力思考(蛇)と霊魂思考(蝶)が重ねられていると見なしたが、簡略化のため「蝶」表現を優先して捉える。
 ・喜界島は採取数が少なく、塗りつぶされる前の文様が不確かなので、不明としてグレー表現にする。
 ・図1を見ると、斜め十字は、「花」名称の文様が多い。そこで、「+」十字は、霊魂思考、「×」は霊力思考と見なした。
 ・宮古、八重山の右手尺骨頭部は、もうひとつの霊力表現と見なしてきたが、ここでは霊魂の座であることを優先して「白」で表す。

 上記から下図が得られる。

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(図6:霊力思考と霊魂思考の展開)

 この図は、いくつかの前提を設けた結果なので前提を変えれば結果も変わることになる。しかし、どちらにしてもひとつの傾向は浮かび上がってくるだろう。それは、琉球弧を南に行くにつれ霊力思考が際立つことだ。もともと琉球弧では霊力思考が優位であることを踏まえれば、これは逆に言い換えてもいい。北へ行くにつれ霊魂思考に進展がみられる、と。

(※各島ごとのデザイン詳細は次頁参照。喜界島奄美大島徳之島沖永良部島与論島沖縄諸島宮古諸島1宮古諸島2八重山

4.徳之島と宮古島

 これを象徴するのは徳之島と宮古島である。

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(図7:徳之島の文様例)

 徳之島では、左端の図形が最も重視され、それに他の形態を組み合わせることによって文様が構成されていた。そのバリエーションも多い。

 これに対して宮古島の文様は発想が異なっている。ひとつのイメージからふたつの異なる文様を生んでいた三つの例に象徴させてみる(ツガと鋏、握り飯と箸、カシギとフツンケヤ)。

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(図8:宮古島の文様例)

 これらは、左端のようにひとつの文様を変形させて別の文様にしたり、ひとつの図形から異なる部分を抽出したりすることで得られる。これらが、左右の手に対で表現される傾向があることも、ひとつのものから生み出されていることを示唆している。ここには、異なるものに同じものを見出す霊力思考の働きを見ることができる。

 徳之島では、基本図形を元に文様を、いわば組み立てている。要するに頭を使っている。同じように言えば、宮古島のは心を使った文様だ。

 徳之島の文様を見ていると、島人が針突きのデザインを開発していた頃、別の分野でも徳之島には発達した技術が存在したのではないかという考えが浮かんでくる。あるいはそれは統一化され様式化される前の沖縄島の文様があったことを想定すれば、徳之島に限ったことではないのかもしれない。なにしろ、沖縄島は「蝶形骨器」を生み出しているのだから。しかし、それにしても複雑な組み合わせにおいて、徳之島の針突きは突出して見える。これはなにごとかを物語るはずである。

5.南太平洋との類似

 いわゆるトライバル・タトゥー(tribal tattoo)のなかで見ると、琉球弧の針突きに類似しているのは、インドネシアの文様だ。

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(図9:Roti, Moluccas, Ryukyu、『Tribal Tattoo Design』)

 たとえば、Rotiの文様は、徳之島の右手尺骨頭部の文様のひとつと同じものが出現する。また、右上の文様は、喜界島の手首内側の文様とも似ている。

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(図10:Lesser Sunda Islands、『Tribal Tattoo Design』)

 ただ、徳之島と同じ文様はインディアでもエジプトでも見出せるので、これは人類的な普遍性があるのかもしれない。同じことは二重に十字を重ねた宮古島の「トゥヌピサ(鳥の足)」についても言える。

 しかし一方、Rtoiでは音符のような曲線美の文様も創造していて、直線的な文様だけではない広がりが見られる。

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(図11:Lesser Sunda Islands、『Tribal Tattoo Design』)

 もうひとつ類縁を感じさせるのは、Moluccas だ。

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(図12:Moluccas、『Tribal Tattoo Design』)

 この点と線の構成は、宮古の島々のデザインを思い出させる。

 また、ミンダナオの文様もそうだ。似ているというのではないが、池間島や水納島のデザインを思い出させる。

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(図13:Mindanao、『Tribal Tattoo Design』)

 このミンダナオの島人も飽かず腕を眺め、また異性を魅入らせたにちがいない。

 近しさを感じさせるトライバル・タトゥー(tribal tattoo)と比べてもすぐに分かるのは、琉球弧の針突き文様は、連続化させることもなければ、デザインを洗練化させることもなく、アルカイックの域を出ないことだ。これは、針突きが女性の手を中心にした箇所にしか残されなかったことと関連していて、どこかの段階で男性や他の身体からは消失し、針突きのデザイン開発を止めてしまったことに依ると思える。

 しかし、これは言い換えれば、連続文様や洗練化などのデザイン開発は、現在の島人に委ねられているということだ。

6.霊魂のファッション

 琉球弧の針突きデザインのもうひとつの特徴は、それが「トーテムと霊魂」の表現に終始していることだ。「握り飯」や「重箱」のように日常的な道具の名称を持つ場合でも、それはトーテムの変形であり、神話上の人物が登場したり、人間自体が表現されたりするわけではない。これも人間が自然に対して優位に立ち、神が出現したときには、針突きのデザイン開発の時代は過ぎていたことを意味すると思える。

 言い換えれば、琉球弧の針突きは、刺青の初期のあり方を、アルカイック・デザインとともに保存したのだ。それは別の側面からも言える。

 人類学がマナと呼んできたように、もともと自然や人間の源になっているのは、流動的なエネルギーとしてとらえられる「霊力」だ。そこに「霊魂」の概念が生まれると、霊力も個別身体化されて、もうひとつの霊魂とみなされる。だから、初期の霊魂は、「ふたつの霊魂」が基本になる。しかし、その後には、二つの霊魂のままに保存されることもあれば、マブイとして霊魂優位に統一されたり、数を増やしたり、二つの霊魂の意味内容が組み替えられたりと、再編されていく。この点からいえば、「トーテムと霊魂」が際立って抽出される琉球弧の針突きは、霊魂発生の初期形を初々しい形で保存しているということだ。それは、針突きのデザイン開発が止まってしまった代わりに残された特徴であり資産だ。

 ぼくたちはその時期も想定できる。約4000年前だ。

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(図14.蝶形骨器、真志喜安座原第1遺跡)

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(図15.蝶形骨器、吹出原遺跡、金子浩昌「沖縄縄文時代の蝶形骨製品-その素材と形態について-」)

 「霊魂」が発生すると身体は霊魂を表すものとして見出されることになる。だから、仮面をつければ仮面が表す精霊(カミ)になり、シャーマンが衣装をつければ、その衣装が表す精霊(カミ)になることを意味した。約4000年前から沖縄島を中心に作られ始めた「蝶形骨器」は、琉球弧における霊魂の発生を物語っていると考えられる。

 考古学で「蝶形骨器」と呼ばれるこの造形物が、その名の通り「蝶」であることは、考古学者の金子浩昌によって確かめられているし、ぼくもその通りだと思う(cf.「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」)。ここでは詳述できないが、これはシャーマンが装着したと考えられる。死者や霊魂の化身である「蝶」を装着したとき、シャーマンは精霊(カミ)として出現することができた。

 しかし、仮面や装飾以上に、霊魂を表現するのは身体である。だから、「蝶形骨器」の出現は、針突き(tattoo)の発生が根拠を持つことになったことも示しているのだ。

 琉球弧の針突きが、霊魂発生時の「ふたつの霊魂」を初々しい形で保存しているとすれば、「針突き」も約4000年前以降に発生した可能性を持つ。少なくともそのとき「針突き」は出現の根拠を持っている。約4000年前といえば、琉球弧でサンゴ礁環境が整い、「貝」が新たなトーテムとして見出される段階に入っている。それは「針突き」の表現が、「貝と蝶」を基本モチーフにしていることも符合している。

 この「蝶」の胴体部を見てほしい。上部が「山」型であり、それに連なるように同様の「山」が刻まれているのがわかる。このモチーフが指の背として展開されたのであり、「蝶形骨器」のデザインが右手尺骨頭部の、いわゆる「五つ星」として、奄美大島と徳之島では、手首内側の文様としてアレンジされたのである。これを見れば、手首内側のダイナミックな文様は、奄美大島と徳之島の島人が「蝶形骨器」を知ったうえで造形しているのもよくわかるだろう(参照:「奄美大島前腕部の針突き文様」)。

 ぼくたちにとってファッションは身体の衣装だ。ここでは衣装を変えることによって、その衣装が表す雰囲気をまとう。しかし、ずっとスーツを着ける人がいるわけではなく、ドレスで通す人がいるわけでもないように、それは一時的なものに過ぎないし、その本体には身体があるのを知っている。

 しかし、針突きは身体のファッションではなく、霊魂のファッションだ。だから、霊魂の姿である「蝶」を記すことになるし、祖先である「貝」を刻むことになる。この段階の祖先とは、現在の人間の系譜でとらえられる祖先ではなく、「トーテム-人」というイメージを持つ融合体がもともとの形だと思える。針突きに「貝」を刻み、またそれを拡張するとき、それは「貝-人」への化身そのものを意味したのだ。それを通じて、島人は、死へ移行と再生という円環のなかに自分たちがいることを確認することができただろう。

 針突きをすることによって、自分が何者であることかを表現する点では、現在のファッションと変わりないが、それは常に意味を持つ霊魂のファッションであり、針突きを媒介に動植物たちのトーテムの関係を結ぶ神話空間のなかに入ることを意味するのだから、いまのぼくたちには想像できないほどの喜びがそこにはあったはずである。針突きとは霊魂のファッションであり、それは脱皮(スデル)を通じた化身を意味していた。

 19世紀の文身禁止令以降、針突きをした最後の女性たちは、自らを卑下するように生きざるを得なかった。しかし、ここまで来てぼくたちは、いま針突きの野生の美と価値を受け取りなおすことができる。ここにはサンゴ礁とともに生きた島人の精神性や美意識が息づいている。

 ときはめぐって日本でも「土人」発言が出てくるように、ふたたび島人には生きにくい時代に入ったのかもしれない。かつて近代に入って、島では「日本人」になることに躍起になり、本土に出た島人が採ったのは「なりすまし作戦」だったと思う。これは揶揄としていうのではなく、あからさまな差別に晒されないためのやむをえない選択だった。しかし、いまやぼくたちは「なりすまし作戦」をふたたび採るのではなく、島人の野生の美と価値をめぐる思考を掘り下げ、新しい表現として創造する段階に入っていると思える。誤解を恐れずに書けば、「土人」を深化させるのだ。

 「針突き」に対しては意外に冷淡だった柳田國男は、それでも、「ひとりこのまさに消えんとする針突の文字なき記録のみが、我々を喚(よ)びとめてこれを語ろうとしているのである」(『海南小記』)と書いた。ぼくたちもここで立ち止まり、「針突き」が語ろうとするものに耳を澄ましてきた。すると、この文字なき記録はその意味を明かすだけではない。それは、「ここで躍れ」と、そう言っているのではないだろうか。






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