「フー」と「息」
アブンマがタービをよむときの所作。
アブンマは手提げ袋の中からパニ[神衣、神のことばではウヤーンという]を取り出してひろげ、襟のあたりをつかんで額のあたりに捧げ持つ。顔をかくすような格好だ。それを小刻みにふるわせながら左右にゆらし、タービがよみはじめられる。
タービの合間には、「フーシー、フーシ」と唱えられる。谷川健一は、それを「フーは息のことであるから、フーシーというのは衣装に息を吹きかけることではないかと考えられる。着物を人体と見立てて、それに霊魂を籠める所作を示しているのではないか」(『南島文学発生論』)とみなした。
内田順子は書いている。衣が、魂を付着させるための道具になるという事例は、南西諸島のあちこちに見られる。
狩俣では、新調した着物を子供に着せるとき、着物をひろげて家の中柱にあてがい、「キスンナ ヤブリピストー スグリ(着物は破れ、人はすぐれる)」と唱え、子供を東向きに立たせて着せたという」。新しい着物の霊力に子供が負けないように、とのことらしい。
奄美や沖縄で、背守りをするのとは異なっている。着物は、ここでは霊魂を込めるものではなく、もうひとつの霊力の表現を見なされている。
内田は、「「フー」が息を意味するかどうは別として」と書いている。ぼくがこの本に当たってみたのも、谷川が「フーは息のことであるから」と書いているのを確かめたかったからだが、内田も保留にしているわけだ。
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