『あまみの甘み あまみの香り』(鯨本あつこ、石原 みどり)
ぼくの場合だと、「(島)有泉」はすでにそこにあった酒で、そこには大人たちの醜態とともに記憶されていることもあって、やれやれな酒だ。「与論献奉」をやれやれな作法と思っているのと同じように。他に酒の選択肢でもあれば、いくらかこんな酒という客観的なイメージもできるかもしれないけれど、なにしろ与論の場合、一銘柄しかない。
で、これもぼくの場合だけど、居酒屋で焼酎を飲む段になると、麦でも芋でもなく黒糖を選ぶものの、イメージが有泉起点になってしまうので、黒糖焼酎自体にやれやれ感を持ちがちだ。その割に、この本でも指摘しているように、島人は地元以外の黒糖焼酎のことを知らないから、ぼくにしても『あまみの甘み あまみの香り』は黒糖焼酎のガイドブックとして読めた。こんど飲むときには、この本持参で銘柄を選んでみたいとも。「加那」、「陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ」、「昇竜」などなど。そして各島の杜氏の創意工夫を読むにつれ、根拠のないやれやれ感の偏見がなかなかな感に変わってゆくのが心地よかった。
それにしても与論のお茶目ぶりときたら。この本では民俗村の菊さんガイドによる「与論献奉」の由来も載っている。
「ケンポウ」の語源は「日本国憲法」なんです。戦後に「日本国憲法」ができた頃、「憲法は守らなくてはならないもの」だから、人にお酒を勧める時に「これは俺の気持ちだからの飲みないさい」という意味で、「俺の憲法だから」と使いはじめたのです」最初は島人同士で「憲法」と言っていたのが、宿の人たちが観光客を歓迎する時に「与論の憲法」だから君たちも飲まないといかんのだよ」と使いはじめたんです。だから、はじめは「与論の憲法」だったんですが、いつのまにか「の」が取れて「与論憲法」になって、「献じる」「奉る」の意味が加わって「与論献奉」になったんですよ。
しかし、「与論献奉10ヶ条」には1561年から施行とあるではないか。
・・・あれは誰かが面白おかしくつくったものです。最近は、この流れを知らない若者も増えてきたから、本当だと思っている人もいるんですね。
ぼくも創始者を自称する人から、大同小異の由来を聞いたことがある。で、与論が琉球弧でいち早く観光化されたときに、激しい人見知りの島人があか抜けた旅人と一夜で親しくなるために編み出した苦肉の策と解したことがある(「与論献奉」)。
こんな身振りが this is very Yoron だ。映画『シン・ゴジラ』は「虚構対現実」と銘打っていたけれど、与論にかかれば、虚構が勝つのである。現実を虚構でないまぜにして楽しむ。いかにも与論だ。
そうすると島民性を連想するのだけれど、与論お茶目、沖永良部まじめ、徳之島ワイルドと、ここまではすらすら出てくる。けれど知人も増える奄美大島と知人の少ない喜界島のひと言がなかなか思い浮かばない。掛け算にして、大島まじめ×ワイルド、喜界まじめ×お茶目などと、この本からも印象を受けたが、どうだろう? こんどまた島人に聞いてみよう。
ところで先日、「旅の本屋のまど」で開催された『あまみの甘み あまみの香り』発売記念のトークイベントに足を運んでみた。奄美好きの人が大半らしい参加者だったけれど、「鹿児島でもない、沖縄でもない、奄美」というサラリと紹介されていたのが印象的だった。
これなどもぼくにかかればたちまち「二重の疎外」としてヘヴィなテーマにまっしぐらになりがちだけど、そこを柔らかに語られると、なんかポジティブなイメージになるから不思議だ。書名にしてからがそうだ。これまで奄美を「甘み」と誰が表現しただろう。「奄美」は「気息奄々」なのだろうか、と暗くネガティブな考察に傾きがちなのに、「甘み」なのだ。でも言われて思い出す、黒糖は甘い。
「離島経済新聞」の初期のころ「島自慢」のイベントに参加して以来で、鯨本さんのお顔をネット中継で拝見できたし、もうひとりの著者石原みどりさんの、とても魅力的な語りを楽しめた。「黒糖焼酎」は、島語りの次元に加えて、引き取り手を生むところまでようやく来たようだ。この引き取りのなかでどんなイメージが育まれてゆくのか楽しみだ。そこが文化の母体になるだろうから。
『くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島と黒糖焼酎をつくる全25蔵の話』
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