『ヤマト文化と琉球文化』(下野敏見)
下野は、トカラ列島以北をヤマト文化圏と呼び、奄美大島から沖縄県全域を琉球文化圏と呼んで、その両方を捉えるのに桜島あたりがいいとしている。「いつもそれを仰いでいるから」とも書いているが、この視点の置き方は面白いと思う。けれど、より本質的にいえば、下野があとがきで書いているように、「日本文化の裂け目」である七島灘に視座を移すのが本来的だろう。
両文化圏のちがいを下野はいくつか指摘しているが、来訪神の出現時期は本質的なものになっている・
ヤマト 夏作システム(稲作優越)・冬正月出現
琉球 冬作システム(畑作優越)・夏正月出現
来訪神が希薄化している例のなか挙げらているのは、「徳之島で旧暦八月のアキムチ(秋餅)の祝いに各戸を祝ってまわるイッサン坊」がある。イッサン坊は「人形」だとも書いている。
「人形の有無」は、徳之島西部の伊仙町犬田布上組と徳之島町尾母のみに限られ、イッサンサンボとかイッサンボウなどと呼ばれるカカシ状の作りものが用いられているという。(大村達郎「奄美徳之島の「餅貰い行事」今昔─豊作を感謝・祈願する稲作儀礼」)。
と、下野が「本来の性格が進展している」というように変形されている。
言い立てなくてはならないほどの異論もある。
これまで述べてきたわが国の女性が男性を守護する信仰を、琉球のウナリガミの語をもって古ウナリガミ信仰と一括していうと、その特徴は、第一に航海と密接な関係があって、航海の得意な民族の信仰であること、第二に、田植えすなわち稲作と深い関係があって、稲作民族の信仰であること、第三にその信仰の核心には女性の供儀による男性守護であることを、改めて確認できよう。
「をなり神」信仰は、母系社会の核にあたるものであれば、本来、航海とも稲作とも関係がない。まして、供儀とも本来的な関係はない。供儀が成り立つためには、人間が霊魂こそ本体であると見なすような霊魂思考の進展がなければならないが、琉球弧は霊力思考を厚く残したのがその姿である。
面白いのは、ヤマトでは「山の神」が確固としてあるが、琉球では希薄になり木の精の観念になるという指摘だ。ケンムン、キジムナーのことを指している。
沖縄のキジムナーは妖怪化した山の精霊であるけれども、南西諸島の山の精霊は、一般にオン(八重山諸島)、ウタキ(沖縄)、ウジチヤマ(沖永良部島)、カミヤマ(トカラ列島)、ガローヤマ(種子島)などの小さい森に鎮まっている。このような森山の神、つまり森神の信仰は、南九州のモイドン、対馬のシゲチ、福井県大島のニソの杜などに連なっていて、ヤマト文化圏の奥深くまで入り込んでいる。森神即樹霊神の感覚は、ヤマト・琉球とも貫流しているのである。
問題は、これらが精霊のみの地なのか、かつての「あの世」を含むのか、そして置き換えられた「あの世」でもあるのかという腑分けが要ることだと思う。いずれ検討したい。
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