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2016/10/31

『台風の島に生きる』(谷真介)

 岩崎卓爾。1898(明治31)年、日本の台風観測の最前線基地として石垣島に創設されたばかりの測候所に赴任。生涯を島で過ごす。

 蝶の生態観測にも力を注ぐ。「蝶仙」の筆名はここから。20種を越える新種が報告されている。イワサキコノハチョウ。

 間引きされた赤子の墓に、シャコ貝で蓋をしている写真が載っている。


『台風の島に生きる―石垣島の先覚者・岩崎卓爾の生涯』


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2016/10/30

シャコ貝の残響メモ

 アマテラスのもとの織女が、ホトを突かれて死ぬのは、サルタヒコが貝に挟まれて溺れるのを女性として表現したものだ。つまり、この織女もサルタヒコと同族なのではないだろうか。

 イザナミが、自身の生んだ火の神でホトを焼かれて死ぬのは、人間の方が太陽の化身であるシャコ貝をトーテムとし、女神の蛇が存在の根拠を失ったことを意味するのではないだろうか。あるいは、蛇の精霊が性を持つ始まりであったかもしれない。

 アマテラスが天の岩戸に引きこもるのには、シャコ貝の貝殻が閉じる神話的思考が残響しているのかもしれない。

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2016/10/29

『扇―性と古代信仰』(吉野裕子)

 吉野裕子の『扇―性と古代信仰』を面白く読んだ。考えなければならないと思ったのは、「扇」は「蛇」だけではなく、「蛇と貝」だとしても、扇の祖形の「蒲葵」は、島人が貝に出会うよりも前に、衣裳として蒲葵とは付き合っていたのだから、吉野は初源を捉えているとも言える。

 しかし、その段階の蛇は、男性としての蛇ではなく、無性の蛇であったはずだ。

 『おもろさうし』の「にらいとよむ大ぬし」が、性別不詳であり、夫も妻もいないように見えるのは、この独神段階の「蛇」に淵源を持つのかもしれない。

 発見だったのは、吉野に寄せられたという岡本恵昭の実録に神々の衣裳への言及があったことだ。

この山下りの神々の衣裳の腰に蒲葵の葉を裂いたものを前結びにしてつける。これを「神の羽」といってこの神羽(かんぱね)によって神の天降りが実証されるのである。

 つまり、帯も「蛇と貝」というわけだ。


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2016/10/28

「もーんくわしりんくわ」(久高島)

 久高島の神歌「ビンヌスンヌ、ティルル」では、スクは「もーんくわしりんくわ」と出ている(『南島歌謡大成』)。

 ここで、「もーんくわ」は「澪の子」、「しりんくわ」は「砂床の子」と解すればいいのだろう。「しりんくわ」は、あるいは、知念とのあいだの瀬戸と解してもいい。

 シラマー(渡名喜島):砂床。
 シル(座間味村):瀬戸。
 ジル(竹富島):暗礁。
 シルジ(奄美大島大和村):砂床。

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2016/10/27

「奄美群島おもろの世界」(福寛美)

 奄美の豊かさについて、福寛美は書いている(「奄美群島おもろの世界」『沖縄文化研究33』2007)。

 地方を謡うおもろの中で奄美の神女達の数は群を抜いて多い。このことは、奄美群島が神女祭祀の賑わう地であり、航海守護の神女達の数が際立って多かったことを示す。そのことはまた、奄美群島から出帆する船が多かったこと、そして、航海守護の神事を多くの女性達が彩れるほど奄美群島が豊かだったことを示唆する。

 こう強調するのは、奄美はいつでもその逆の像としてあるからでもある。強調したくなるのはよく分かる。

 『おもろさうし』で、「金の島」は、「はね(金)の島」とも書かれる。「太陽神おもかは」は、「金の島」、首里杜、真玉杜と対になる。ぼくの連想をいえば、「はに」は、「羽衣」にひっつけば神女の衣裳になり、「金」にひっつけば御嶽などの聖域になる。そしてそれはどちらにしても「太陽」との結びつきを強調する。

 「おもろ」で「浮島」と称さるのは、喜界島と那覇のみ。しかし、これは地勢の特徴からくるものだが、それ以上の意味があったと福は指摘している。554で歌われる「おもろ」は、喜界の浮島を出発して那覇の浮島に到達する。これは、琉球王国の支配権を示すとともに、「前代の浮島とおもろの時代の浮島を結ぶ役割を果たす」。

 「ある時代の沖永良部島と与論島に、第二尚応答の始原世界が設定されていた」。「根の島」であれ、「浮島」であれ、生と死の分離以降では、「沖の島」が起点になるのはこの段階の世界模型だと言ってもいい。そういう意味では、与論島の「根の島」も「観想」以上のものではない可能性もあるのかもしれない。

 

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2016/10/26

キシノウエトカゲ

 多良間島の兄妹始祖神話が伝えるトカゲ(バガギサ)こと、キシノウエトカゲ。

 琉球弧のトーテムのひとつに敬意を表して掲載。

Photo
(「週刊日本の天然記念物 : 動物編. 32」)

 「恐竜王子」というコピーもいいけれど、島人の思考に添えば、きっと「蛇王子」だったのだ。

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2016/10/25

「亀」の位相

 亀の位相の手がかりになるのは、亀がジュゴンと対になって語られることだ。新城島の人は、「ぱなり人は亀の腕、ザンの腕」といわれてきた。

 「おもろさうし」では、「久高の澪に ザン網結び降ろちへ亀結び降ろちへ」と歌われ、新城島のザン捕りユンタでも、「ザン捕る網ば 持ちうるし かみ捕る網ば 引きうるし」と対句を形成する。新城島では、ザンを捕りに行って帰った者たちは、「ザンは捕れたか亀は捕れたか」と聞かれた。

 谷川寛一は、「ザンと亀とは海神の乗り物として、いっしょにあがめられる信仰があったことを暗示させずにはすまない」と書いている。

 ジュゴンと亀が対になるのは琉球弧だけではなく、トレス海峡でも海亀は「目のいい奴」、ジュゴンは「耳のいい奴」と呼ばれている(松本博之「「潮時」の風景」)。

 松井健は、「マイナー・サブシステンスと琉球の特殊動物」のなかで、新垣源勇が「二つの動物は生殖期に同じ海草をえさにしている」と述べているのを引きながら、「確認できる情報を手にしていない」と書いている。浪形早季子は、「南西諸島のジュゴン・ウミガメ・イルカ・クジラ遺体」のなかで、

アカウミガメとアオウミガメの食性をみてみると、前者は貝やヤドカリ、カニなどを餌とし、後者は海藻や海草を採餌する。前述したようにジュゴンの餌は海草であることから、アオウミガメとジュゴンは共通の採餌場であった可能性が高い。ウミガメ捕獲がジュゴン漁とともに行われていたとすれば、この地域でアカウミガメに比べてアオウミガメの方が多く出土している状況は両者の食性の違いを反映しているのかも知れない。

 と書いている。

 沖縄島の読谷では、「中国への使者の蔡譲が台風で難破したところ亀に助けられ無事に帰ったので、その恩義で蔡門中は亀の肉を食べない」。国頭では、「亀に噛まれると癩を病む」とい言われた(矢野憲一『亀』)。

 樋泉岳二は、前1期から後1期の連続的な堆積物が確認できる屋我地島の北海岸の大堂原貝塚について、書いている。前1~前3期では、「遺跡前面の沿岸域に発達中のサンゴ礁を伴う強い波浪を受けるサンゴ礫浜」だった。脊椎動物遺体でみると、前1期は、「イノシシが卓越し、ウミガメと魚類が加わる」組成になっている。前2-3期以上になると、「イノーの藻場を餌場とするジュゴンが見られるようになる」としている(「脊椎動物遺体からみた琉球列島の環境変化と文化変化」)。

 ジュゴンと亀が対で語られるのは、餌場の共通性に依るところが大きい。加えて、両者ともに「魚」とは異貌の存在だ。「神の使い」や「人間を助ける」という位相を持つのも似ている。ただ、亀はトーテムになりえたのに対して、ジュゴンは胞衣であり相方であるというところはちがう。そして、ジュゴンより亀との付き合いが古い。この意味では、人間と自然との関係、特に海との関係を想起するとき、サンゴ礁以前は亀であり、サンゴ礁期以後はジュゴンだったのかもしれない。

 

谷川健一 『神・人間・動物―伝承を生きる世界』

矢野憲一 『亀 (ものと人間の文化史)』

『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』


 

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2016/10/24

『ヤマト文化と琉球文化』(下野敏見)

 下野は、トカラ列島以北をヤマト文化圏と呼び、奄美大島から沖縄県全域を琉球文化圏と呼んで、その両方を捉えるのに桜島あたりがいいとしている。「いつもそれを仰いでいるから」とも書いているが、この視点の置き方は面白いと思う。けれど、より本質的にいえば、下野があとがきで書いているように、「日本文化の裂け目」である七島灘に視座を移すのが本来的だろう。

 両文化圏のちがいを下野はいくつか指摘しているが、来訪神の出現時期は本質的なものになっている・

 ヤマト  夏作システム(稲作優越)・冬正月出現
 琉球   冬作システム(畑作優越)・夏正月出現

 来訪神が希薄化している例のなか挙げらているのは、「徳之島で旧暦八月のアキムチ(秋餅)の祝いに各戸を祝ってまわるイッサン坊」がある。イッサン坊は「人形」だとも書いている。

「人形の有無」は、徳之島西部の伊仙町犬田布上組と徳之島町尾母のみに限られ、イッサンサンボとかイッサンボウなどと呼ばれるカカシ状の作りものが用いられているという。(大村達郎「奄美徳之島の「餅貰い行事」今昔─豊作を感謝・祈願する稲作儀礼」)。

 と、下野が「本来の性格が進展している」というように変形されている。

 言い立てなくてはならないほどの異論もある。

 これまで述べてきたわが国の女性が男性を守護する信仰を、琉球のウナリガミの語をもって古ウナリガミ信仰と一括していうと、その特徴は、第一に航海と密接な関係があって、航海の得意な民族の信仰であること、第二に、田植えすなわち稲作と深い関係があって、稲作民族の信仰であること、第三にその信仰の核心には女性の供儀による男性守護であることを、改めて確認できよう。

 「をなり神」信仰は、母系社会の核にあたるものであれば、本来、航海とも稲作とも関係がない。まして、供儀とも本来的な関係はない。供儀が成り立つためには、人間が霊魂こそ本体であると見なすような霊魂思考の進展がなければならないが、琉球弧は霊力思考を厚く残したのがその姿である。

 面白いのは、ヤマトでは「山の神」が確固としてあるが、琉球では希薄になり木の精の観念になるという指摘だ。ケンムン、キジムナーのことを指している。

 沖縄のキジムナーは妖怪化した山の精霊であるけれども、南西諸島の山の精霊は、一般にオン(八重山諸島)、ウタキ(沖縄)、ウジチヤマ(沖永良部島)、カミヤマ(トカラ列島)、ガローヤマ(種子島)などの小さい森に鎮まっている。このような森山の神、つまり森神の信仰は、南九州のモイドン、対馬のシゲチ、福井県大島のニソの杜などに連なっていて、ヤマト文化圏の奥深くまで入り込んでいる。森神即樹霊神の感覚は、ヤマト・琉球とも貫流しているのである。

 問題は、これらが精霊のみの地なのか、かつての「あの世」を含むのか、そして置き換えられた「あの世」でもあるのかという腑分けが要ることだと思う。いずれ検討したい。

 


『ヤマト文化と琉球文化―南の島々の生活行事に映った日本文化の古層地図』

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2016/10/23

「日本神話の風土性―時間と変容」(谷川健一)

 谷川健一は、「日本神話の風土性--時間と変容」のなかで書いている(「國文學:解釈と教材の研究(日本の神話<特集>日本神話の源流)」)。

 南島では神女の着る着物は神羽(かんぱね)と呼ばれる。羽というのはあけず羽(とんぼの羽)、または、はべる羽(蝶の羽)に見立てたものである。高級神女の打掛けには「おもろさうし」に言う「絵かき御羽(えがきみはね)」があった。これは彩色した花鳥の模様の着物で、要するに天の羽衣にほかならなかった。宮古島の狩俣や島尻のツカサ(神女)は神祭のときに着る白い神衣の帯に、模様のあるほそながい帛(きれ)を垂らしている。この帛を神羽(かんぱに)と呼んでいる。つまりそれは神聖な神衣裳のシンボルなのである。

 この谷川の文章中、前段の箇所は、伊波普猷の記述を拝借しているのは分かる。

そして南島文化の中心から漸次「上下、地はなれ」(田舎および属島)に伝播したことは、この時代の神歌中に北部地方の神女の首里王府から「絵がき御羽(みはね)」を交付されることを歌ったのがあるのを見ても知れよう。これには胡蝶形(はべるがた)または蜻蛉御衣(あけづろみそ)ともいって、いまだに所々に保存されているが、私はかつて久高島の外間祝女の家で白地の絹布に花鳥の絵のかいたものを見たことがある。(「琉球女人の被服」)

 問題は、宮古島のツカサが帯に垂らしている帛を「神羽(かんぱに)」と呼ぶか、だ。そう書いているのだから、信頼してみる。この神羽は、神女の衣裳が「天の羽衣」化する以前にもあったかどうか、だ。

 パニ(羽)という言葉は随所に出てくる。

 バサパニ(芭蕉布の神衣裳) (居駒永幸『歌の原初へ 宮古島狩俣の神歌と神話』)
 バサのパニ(芭蕉の神衣) (内田順子『宮古島狩俣の神歌 その継承と創成』)
 インパニ(草冠になる蔓草) (内田順子『宮古島狩俣の神歌 その継承と創成』)
 ブーパニ(麻の神衣装) (居駒永幸「宮古島狩俣の神歌体系--タービ・フサ・ニーラーグの様式から」「明治大学人文科学研究所紀要」)

 このパニが、「天の羽衣」以前に届くなら、羽は「蝶」由来の可能性を持ち、宮古島の原ユタにおいても「蝶」表現を潜在的ながら持つ可能性がある。


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2016/10/22

「刺青師としての女性たち-フィリピン、台湾、そして沖縄」(アナリン・サルバドール・アモレス)

 アナリン・サルバドール・アモレスという方の論文。対象にしているのは、「フィリピンのカリンガ州、台湾のアタヤル族の共同体、そして沖縄」だ。

 刺青を意味する言葉。

 バトク(カリンガ州)
 パタサン(アタヤル族)
 ハジチ(沖縄)

 共通性は、女性の刺青師(カリンガ州では男性も刺青を行い、刺青師もが一般的)。アタヤル族では、

織物と刺青の仕事は女性たちに限定されており、その技術は、女性の近親者である母から娘へと受け継がれる場合もあれば、徒弟関係の中で習得される場合もあった。

 「刺青に関する儀式を行うことを通して、身体は「アーカイブ」となる」。

 カリンガ州。13~15才の間に行う。バツ(×)の印か並行する線の刺青を頬か額に施す。痛みに耐えられるなら、「両腕、首の下と手」。
 アタヤル族。5才。アイデンティティの刻印として額に線形の刺青。未婚で15才になった時は、成人のシンボルとして、より手の込んだ刺青を頬に。
 アモレスは沖縄については、7~10才。手の甲に斑点などの刺青を入れ、12~13才、そして「人生の重要な出来事があるたびに」としている。

 アタヤル族では、「刺青がない人たちは本物の人間ではなく、猿と同じだとされ、顔に刺青のない女性とは誰も結婚したがらなかった」。

 ガガは、「規範、規則、そして儀式的な決まりごと、個人のアイデンティティ、幸運、「祖先の霊」であるリュートゥクスと交信できることを意味する」。女性の顔の刺青は「顔にあるガガ」を表し、ダイヤモンドの模様は祖先の霊を表す。

 このダイヤモンドの模様は、アタヤル族のトーテムに由来する文様かもしれない。

 アモレスは沖縄について、

ハジチは沖縄の人たちの「先住性」を表す手段ともなった。この時代、ハジチのない女性は日本の他の場所に追放、もしくは沖縄から流刑に処せられることになり、そこで「外国人」として扱われた。

 と書いているが、これは資料の読み違えではないだろうか(この辺の記述は、ジョージ・カーを元にしているように見える)。

 アモレスは刺青についてこう整理している。

 1.身体的な美学
 2.子供から大人へ移り変わる通過儀礼のシンボル、他者からみた社会的役割の反映
 3.悪霊から身を守るもの
 4.アイデンティティと地位を刻印するもの
 5.祖先の霊とつながるための一つの形態
 6.平等をもたらし、コミュニティの結束を図るための社会的統制の手段
 7.死後の世界へと続くもの

 カリンガ州では、キリスト教の布教が「禁止」の契機のひとつになっている。アモレスは「衣服がもたらされたことにより、刺青の可視性が失われた」と書いているが、これは本質的にいえば、衣服がもたらされたことで、霊魂のファッションとしての身体が失われる契機になった。

 沖縄についても書いている。

ハジチは日本人の感覚にとってはいらだたしいもので、日本のナショナリズムの強い閉鎖性は、沖縄の人たちを日本社会の完全な一員として簡単には認めなかった。
沖縄では、ハジチが実践されなくなって久しいが、実践を保存した記録によって、その実践を分析することで、過去に行われていたハジチの価値を理解するためのドアが開かれることだろう。

 これこそまさにぼくのやりたいことだ。

 

『沖縄ジェンダー学 3 交差するアイデンティティ』

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2016/10/21

「佐太大神-古代出雲における太陽信仰」(吉井巌)

 吉井巌は、加賀の洞窟を貫く「金の弓箭」について、「日出時の太陽光線の神話的表現ではなかったろうか」と指摘している(「佐太大神-古代出雲における太陽信仰」『天皇の系譜と神話 2』)。

 吉井は自分でたしかめたわけではなくて、「漁民に聞けば、日出の太陽に正面しているとのことであった」としている。そして、「海から登る太陽が、まっすぐ洞窟の東の入口から洞窟内に侵入するわけである」と書く。

 多くの論者と同じように吉井は、加賀神崎の伝承を「日光感精神話」の一つとして位置づけている。ぼくたちは、螺旋をひとまわりして、それ以前の蛇と太陽の化身としての貝の子として佐太大神を位置づけている。佐太大神の伝承はそれだけ古いのだと思える。


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2016/10/20

『ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法』

 ぼくが買いそうにない書名だけれど、そこは著者の和田さんご本人を存じ上げているので信頼を寄せて迷わずに。

ミニサイトをつくるために一定の時間と労力が費やされますが、それによって、その後ミニサイトを活用してくれる何十人・何百人の貴重な時間が節約され、「役立った」「参考になった」と評価・感謝してもらえるなら、それは非常に有効な時間の活用方法なのではないでしょうか。

 と、こういうスタンスが大好きというか、共感します。

 そんなわけで早速、「なんちゃって企画書」のなかのカテゴリーを考えてみる。サイト名はともかく、「ショート説明」は、

 自分にとっての島々を見つけるための沖縄・奄美入門。

 カテゴリーは、

 1.地理(意外と長い列島)
 2.歴史(本土と結構違う)
 3.旅(身近になった4群島)
 4.自然(亜熱帯のサンゴ礁)
 5.動物・植物(島の主たち)
 6.文化(エキゾチックだけど懐かしい)
 7.シマウタ(覚えたらグッと味わい深くなる)
 8.酒(黒糖焼酎と泡盛)
 9.料理(これは食べておきたい)
 10.言葉(外国語と思ってしゃべってみる)

 こんな感じかなぁ。と並べてみて、琉球弧のことばかり考えてみるように見えて知らないことが多いのに気づく。これはなまなかなことではないと思うけど、和田さんも書いている通り、知ることは自分のためにもなるテーマばかりだ。

 ちょっと前に琉球弧を旅した人のクチコミから群島ごとのベネフィットを整理してみた。

 奄美 マングローブ、海、島時間
 沖縄 海、歴史、文化
 宮古 ビーチとドライブ
 八重山 サンゴと自然

 クチコミに乗る観光スポット数でいったら、沖縄パワーが圧倒的で、
 奄美:沖縄:宮古:八重山=1:19:6:3

 という感じ。これで言うと、沖縄本島周辺は知られるようになったということだろう。島々は観光客にあふれればそれでいいというわけでもないから、よい出会いが増えるようなサイトづくりができればいいと思う。

 この本は、和田さんがミニサイトを作る場合、「上限30~50項目(記事数)が多い」と、チップスも率直に書かれていて役立つ情報を多い。まずは、その気にさせてくれる和田さんに感謝だ。
 

『ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法』

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2016/10/19

『沖縄の不都合な真実』(大久保潤、篠原章)

 本来向き合うべきことに幾重にも別の要素がかぶさってわけがわからなくなる事象のひとつに沖縄の基地問題もある。著者たちはそれを内部に立ち入ってすっきりした像として提示している。せんじ詰めれば、「沖縄が金を要求し、政府が応じることで基地の縮小が実現できなくなってしまう」ということだ。

 そこにはお馴染みの利権がある。政府省庁と絡み合った県内企業と同士の利権をめぐるつばぜり合いもあれば、工事を県内に収めるためのつばぜり合いもある。そしてひとたび流れができてしまえば、

沖縄の中には「お金をもらったのだから基地反対を言うのは少し控えよう」という遠慮が生まれ、政府側には「お金をあげたのだから基地縮小の努力はしなくてもいいだろう」という怠慢が生まれます。

 ということになる。「おねだり」と「ばらまき」。「基地を誘致すれば税金で建設費用が落ち、反対すれば振興策が税金で落ち」るという「税金還流装置」。こうなれば、膠着して事態が進まなければ進まなくなるほど、「税金還流装置」も恒常化してしまう。そして、

沖縄の企業や行政は振興策依存で自立心が奪われ、沖縄社会は自然破壊や地域の分断といった副作用に苦しむのです。

 米国の政策もぬかりない。「米国の沖縄政策」は、「被差別意識が「反日」に向かうように県民の「沖縄ナショナリズム」を上手に利用し、海兵隊基地が具体的に日本の安全保障にどう役立っているのか(あるいはいないのか)という本質的な議論を封じ、被害者意識が米国批判に向かわないように基地負担平等論として内政問題化させる」。

 こうした入り組む要素を取り除くと、基地問題は沖縄の抱える問題を「象徴」はしていても、問題の「根っ子」ではない。

 沖縄県最大の経済的な課題は「貧困」。

 1.所得の公務員偏在
 2.所得上の著しい公民格差
 3.政治的な影響力のある公務員が経済的イニシアティブも握っている
 4.結果として「民」優位ではなく、琉球王朝以来の「公」優位の経済社会の温存

 この整理は、与論の状況を拡大構造化すれば類推できて、とても腑に落ちてくる。そこで著者たちは、「琉球王国時代から階級社会を守ってきた沖縄が内部分裂した時、初めて民主化の希望が芽生えるでしょう」と書いている。

 もうひとつすっきりするのは、「大事なのは被害者沖縄に寄り添うことではなく、沖縄の基地を減らし、見返りの振興策と減税措置をなくすこと」と書かれていたことだ。

 沖縄にある米軍基地には借地料が発生している。「一方、本土のほとんどの基地は国有地」。言い換えれば、「仮に沖縄から本土への基地移設が実現すれば、それだけで借地料は大幅に減」る。「その分、医療や福祉、教育のために税金を使え」る。「沖縄の騒音や事故や事件が激減し、国民全員の利益」になる。

 人は良心では動かない、のではなく、動けないとしたら、良心に訴えるより、経済的な動機はよほど力になる。そこで、

 本土:77%、沖縄:23%(米軍基地)
 本土:74%、沖縄:26%(内、米軍専用基地)
 本土:99%、沖縄: 1%(自衛隊専用基地)
 本土:83%、沖縄:17%(軍事基地全体)

 普天間移設や在沖海兵隊の撤退から試算される本土比5%が、まずは「日本全体の目標にすべきではない」か、という言明も力を持ってくる。

 これはクールでフェアな視点だけれど、ドライではない。

 「沖縄への贖罪意識からの解放と自己満足が本当の目的ではないのか。沖縄の周辺にはそういう人たちが多すぎます。
 余計なお世話はせず、沖縄の人たちに任せる。どうしても関わりたい時、支援したい時は、沖縄観光に行くか沖縄産のものを買い、きちんと対価としてお金を落とす。これで十分ではないでしょうか。

 こういうのを優しいというのではないだろうか。沖縄は倫理や良心の過剰な仮託先となって言説バブルを起こしていて、追おうとすればリブートをかけたくなってくるので、熱さましになる投げかけだと思う。

 「やんばる海水揚水発電所」のような自然エネルギーの産業などによる辺野古の「存続の可能性を探っていくことが、結果として基地を減らすことにつながるのではない」かという視点も結局のところ、そういうことだと思う。

 ぼくにとっては、与論に対して、琉球弧に対して向き合い方を示唆してくれる一冊だった。


『沖縄の不都合な真実』


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2016/10/18

南琉球のトカゲ語彙(野原三義「琉球方言の動物語彙(南琉球)」)

 野原三義の「琉球方言の動物語彙(南琉球)」(『国文学年次別論文集 国文学一般平成18(2006)年』)で、トカゲを見る。

 宮古

トカゲ。bakagiza(西里、肉は蛙みたい。キシノウエトカゲも含まれるか。新里、畑にいる。豚に食わしていた。いい匂いがする)。バカッツァ(佐和田、キシノウエトカゲも同じ)。NR (狩俣。佐良浜。与那覇)。
キシノウエトカゲ。bakagiza (西里。新里。友利。トカゲとの区別せず)。ba:bigasa(狩俣、海に入ってkatsiになった り、逆で あったりするという言い伝えがある。よく食べたとのこと)。バカッザ(保良、ひきつけの薬。jatsifusa [ヨモギ]と一緒に炊いて子供に食べ さすと 頭がよくな る)。 パカッツァ(佐和 田)。tsinagizasa(与那覇)。NR(佐良浜)。 トカゲとキシノウエトカゲは区別しないのが普通 の よ うである。

 八重山

キノボリトカゲ。Φudadzimi(川平)。ku:su:faja:(祖納)。bagira(宮良、ただしトカゲ、キシノウエトカゲを含む)。アンパレ(白保、トカゲも同じだが区別する場合はピテギヌアンパレ(畑の~)、キーヌアンパレ(木の~)という)。NR(古見)。
トカゲ。tsimera(川平、キシノウエトカゲを含む)。kine:ra(小浜、時期になるとカタカシになる)。ボチナ(祖納、キシノウエトカゲも含む)。バガドゥ(与那国)。上記のように宮良はbaglra、白保はアンパレ(区別する場合はピテギヌアンパレ)である。

 発音記号は不正確だが仕方がないとして。

 これらをみると、トカゲとキシノウエトカゲは区別されていない。小浜では、トカゲは時期になるとカタカシになると言われている。狩俣では、キシノウエトカゲが海に入ると、katsiになるとあるが、これが何の魚かは分からない。ただ、「ハイヌ(畑の)グルクン(久貝勝盛)」の記述をみると、カタカシなのかもしれない。

 

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2016/10/17

『ジュゴンの上手なつかまえ方』(市川光太郎)

 ジュゴンは仲間同士でコミュニケーションを取る時や、自分ひとりでも気分次第でハナウタのように鳴く。これまでに分かっていることを整理すると、

 1.特定の時刻【夜明け前)によく鳴く。
 2.特定の狭い海域(エサ場の外)でのみ鳴く。
 3.単独個体が鳴き、母仔ペアの鳴き声は比較的少ない。
 4.チャープを互いに鳴き交わすことでお互いの位置を知ることができる。
 5.チャープとトリルの組み合わせは「ピヨピヨピーヨ」の順番がほとんど。
 6.チャープのレパートリーはとても少ない。
 7.トリルのレパートリーはチャープに比べて多い。
 8.トリルは内的なモチベーションが高まったときに鳴く(興奮状態やウミガメとの接触時など)。

 こうなる。ここでは、短い時間の鳴き声をチャープ、1秒以上の長い鳴き声はトリルと呼ばれている。

 著者たちは、エサ場の水深が特定の深さになったとき、摂餌音が集中することも確かめている。また、ジュゴンの肉はそう美味ではなかったとも書いている。

 

『ジュゴンの上手なつかまえ方――海の歌姫を追いかけて』

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2016/10/16

シナ呼称の二枚貝

 シナ呼称の貝を拾ってみる(川名興『日本貝類方言集―民俗・分布・由来』)。

 エガイ 宮古・大神島
 ベニエガイ 宮古・大神島
 リュウキュウサルボウ 宮古・大神島
 キクザル 宮古・来間島
 ハマグリ 宮古・宮古島
 ソメワケガシラガイ 宮古・来間島
 ミドリアオリガイ 宮古・来間島

 松井健は『琉球のニュ^・エスノグラフィー』のなかで、来間島ではあまり特徴のない二枚貝は「シナ」と一括されていると書いていたが、大神島でもそれは確認できるようだ。

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2016/10/15

空飛ぶ蛙はどれか

 「井戸ヌパタヌ子蛙誦言」(祖納)にいう「子蛙」は、どのカエルだろうか。

 井戸ヌパタヌ        井戸端の水溜りに棲む
 アブダーマ         子蛙が
 パニバムイ         翅が生えて空へ
 トゥブケー         飛ぶ永い年月のように
 バカケラ生命(イヌチイ) 吾等全村人の生命は
 島トゥトゥミ         島のあらん限り
 アラショウリ         永久にあらしめ給え(『八重山古謡(下)』

 井戸端にも棲む可能性があるのは、ハロウェルアマガエル、サキシマヌマガエル、ヤエヤマアオガエル。

 蛙は雨を呼び、蛇に食べられるから、空を飛ぶのは蛇になるのを意味するのだとすると、サキシマヌマガエルの背中線が気になる。

 一方で、翅が生えるのを蝶への変態と見なすこともできる。蛙は死に近い動物だ。天敵はサキシマハブだから、蛇とのつながりもあり、蛙自体もトーテムに近い存在として見られた痕跡もある。そういう意味では、人間に近い動物であり、それが化身するものといえば、蝶の可能性もあるわけだ。そういう眼でみると、ヤエヤマアオガエルが歌謡の蛙なのかもしれない。

 本には、クワズイモの葉で眠る成体の写真が載っている。

『日本カエル図鑑』

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2016/10/14

「宮古群島の両生爬虫類相(1)」(当山昌直)

 当山昌直は、来間島で島人から、「芋畑での耕作中に土中から大きなトカゲがでてくることがあるといって、また、それは宮古島でみられるようなものだった」と聞き、来間島にもキシノウエトカゲがいるのは確実だと思われるとしている。(「宮古群島の両生爬虫類相(1)」1976)。

 この土中から出現するという生態が、キシノウエトカゲをトーテムとする理由の一端にもなったとしたら、キシノウエトカゲがトーテムとなったのは意外に遅かったのかもしれない。言い換えれば、シャコ貝と時期は変わらなかったのかもしれない。


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2016/10/13

太陽の貝たち 2

 二枚貝がシナと総称される例。

斧足網の貝(二枚貝)の分類学ではかなり重視されている套線(とうせん)とその湾入のぐあいは、民俗分類ではまったく無視されている。このため、あまり特徴のない二枚貝は、「ハマグリ」(与路島)とか、「シナ」(来間島)とかに一括されていることが多い。(松井健『琉球のニュー・エスノグラフィー』)

 平良でもそうだ。

 考えてみれば、これも「太陽の貝」の系譜に属するのだろう。

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2016/10/12

『琉球列島植物方言集』(天野鉄夫)

 『琉球列島植物方言集』(天野鉄夫)から、植物の琉球語を見てみる。

・マオ(アオカラムシ、カラムシ、ラミー)の琉球語は、

 ウーベー 沖縄(辺戸、首里)渡嘉敷
 ブー 石垣、西表、竹富、与那国
 ブバイ 宮古、伊良部

 と、ブー系だは、ウーベーと呼ばれているのが興味深い。与論では、モー。

・ハドノキも、

 カーウーベー 沖縄(東江)
 ハーウベファ 沖縄(安田)

 と同様の音。「川辺に生えるカラムシ」と説明されている。

・リュウキュウツチトリモチ

 ティラヌボーズナ 石垣
 アカバンカー 沖縄(知念)

 「アカバンカーは、陰茎が赤く包皮が反転した意」。リュウキュウツチトリモチは男性器であるとともに太陽だ。

・スベリユヒ

 ティダナ 奄美大島(笠利)
 テーンヤ 与論

・ゴンズイ

 ミィハンチャー 沖縄

 ミィハンチャーは、「瞼をうら返すの意で、ゴンズイの果実の裂開している状態が瞼をうら返したような感じがすることに由来」。

・ホウセンカ

 ティンサグ 沖縄(首里)、久米、西表、宮古、石垣
 トビシャゴ 奄美大島
 カーキーバナ 喜界島

 貝のティダラとトゥビンニャと呼応している。これは、太陽が、沖縄ではティダ系、奄美ではテルコ系で呼ばれることに由来しているように見える。

・オオハマボウ

 ユナ 慶良間
 ユーナ 奄美大島、沖縄、久米、伊平屋、宮古、石垣

 「ユナギ・ユーナギーは、ユナに生える木の意。海辺近くの沖積地をユナといい、この木がユナに生えることに由来」。

・ハマゴウも、

 ユナギ 奄美大島(宇検)

 と呼ばれることがある。

 また、

 ホーギ 奄美大島、沖永良部、沖縄(安田)
 
 と女性器でもある。ヤエヤマハマゴウは、「カニン(石垣)、ホーギ(奄美大島、徳之島(天城)、沖永良部、沖縄」。

 ハマボウもハマゴウもユナに生える木だが、ハマゴウになると「太陽-女性」のシンボリズムが働いている。

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2016/10/11

「沖縄・国頭村安田シヌグの祭祀植物ゴンズイ」(新里孝和、芝正己)

 「沖縄・国頭村安田シヌグの祭祀植物ゴンズイ(1)」(新里孝和、芝正己)からメモ。

 安田のシニグでは、「カーブイは藁縄とナガバカニクサのガンシナーに挿す植物としてゴンズイ以外には決まりがなくどんな植物も装飾になるようである」。

 ゴンズイが、ミスハンチャー、ミィファンカと呼ばれるのは、「瞼をうら返す意で果実の裂開している状態が瞼をうら返したような感じがすることに由来する」。

ゴンズイの袋果は1~3個に分かれ、分果はそれぞれ2つに裂けるが、これらの果実は離散することなくくっついたまま2つに開いた状態になる。この開いたかたちが女性の性器に似ているとして、このことからゴンズイを祭祀植物に用いているのではないかという。(聞き取りによる―引用者)

 「ゴンズイの袋果は、熟すると反曲して開出し、裂開すると内面は鮮紅色で美しい」。「袋果の熟期は旧暦では5月から7月になり、およそ旧盆前に分果が裂開して光沢のある黒色の種子をつけ、ちょうどシヌグ開催の頃に鮮紅色に染まる内面を開いてみせることになる」。

 ゴンズイの開いた袋果の鮮紅色は、深い緑色に染まる夏の森を一大祭典のように美しく際立たせる。

 津堅島でもシャコガイの二枚の殻を半開きにして門の両側や道路のつき当たりの塀に置いてムンヌキムン(魔除け)にする。それから、本部町で著者が少年の頃にみた死者を墓に運ぶ龕は、赤色に塗られていた。


 「沖縄・国頭村安田シヌグの祭祀植物ゴンズイ(2)」(新里孝和、芝正己)。

琉球列島の島の最高峰である奄美大島の湯湾岳(694.4m)、沖縄島の与那覇岳(503m)、石垣島の於茂登岳(562m)、西表島の古見岳(469.5m)などは、古代から霊峰の位置づけはなく、琉球列島のヤマは、神となる孤高の霊峰ではなく、神霊(タマ)の坐す森林であったと考えられる。

 これは霊峰のポジションは得ているが、それが海上他界に吸引されて弱まっているということではないだろうか。

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2016/10/10

『あまみの甘み あまみの香り』(鯨本あつこ、石原 みどり)

 ぼくの場合だと、「(島)有泉」はすでにそこにあった酒で、そこには大人たちの醜態とともに記憶されていることもあって、やれやれな酒だ。「与論献奉」をやれやれな作法と思っているのと同じように。他に酒の選択肢でもあれば、いくらかこんな酒という客観的なイメージもできるかもしれないけれど、なにしろ与論の場合、一銘柄しかない。

 で、これもぼくの場合だけど、居酒屋で焼酎を飲む段になると、麦でも芋でもなく黒糖を選ぶものの、イメージが有泉起点になってしまうので、黒糖焼酎自体にやれやれ感を持ちがちだ。その割に、この本でも指摘しているように、島人は地元以外の黒糖焼酎のことを知らないから、ぼくにしても『あまみの甘み あまみの香り』は黒糖焼酎のガイドブックとして読めた。こんど飲むときには、この本持参で銘柄を選んでみたいとも。「加那」、「陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ」、「昇竜」などなど。そして各島の杜氏の創意工夫を読むにつれ、根拠のないやれやれ感の偏見がなかなかな感に変わってゆくのが心地よかった。

 それにしても与論のお茶目ぶりときたら。この本では民俗村の菊さんガイドによる「与論献奉」の由来も載っている。

 「ケンポウ」の語源は「日本国憲法」なんです。戦後に「日本国憲法」ができた頃、「憲法は守らなくてはならないもの」だから、人にお酒を勧める時に「これは俺の気持ちだからの飲みないさい」という意味で、「俺の憲法だから」と使いはじめたのです」

 最初は島人同士で「憲法」と言っていたのが、宿の人たちが観光客を歓迎する時に「与論の憲法」だから君たちも飲まないといかんのだよ」と使いはじめたんです。だから、はじめは「与論の憲法」だったんですが、いつのまにか「の」が取れて「与論憲法」になって、「献じる」「奉る」の意味が加わって「与論献奉」になったんですよ。

 しかし、「与論献奉10ヶ条」には1561年から施行とあるではないか。

 ・・・あれは誰かが面白おかしくつくったものです。最近は、この流れを知らない若者も増えてきたから、本当だと思っている人もいるんですね。

 ぼくも創始者を自称する人から、大同小異の由来を聞いたことがある。で、与論が琉球弧でいち早く観光化されたときに、激しい人見知りの島人があか抜けた旅人と一夜で親しくなるために編み出した苦肉の策と解したことがある(「与論献奉」)。

 こんな身振りが this is very Yoron だ。映画『シン・ゴジラ』は「虚構対現実」と銘打っていたけれど、与論にかかれば、虚構が勝つのである。現実を虚構でないまぜにして楽しむ。いかにも与論だ。

 そうすると島民性を連想するのだけれど、与論お茶目、沖永良部まじめ、徳之島ワイルドと、ここまではすらすら出てくる。けれど知人も増える奄美大島と知人の少ない喜界島のひと言がなかなか思い浮かばない。掛け算にして、大島まじめ×ワイルド、喜界まじめ×お茶目などと、この本からも印象を受けたが、どうだろう? こんどまた島人に聞いてみよう。

 ところで先日、「旅の本屋のまど」で開催された『あまみの甘み あまみの香り』発売記念のトークイベントに足を運んでみた。奄美好きの人が大半らしい参加者だったけれど、「鹿児島でもない、沖縄でもない、奄美」というサラリと紹介されていたのが印象的だった。

 これなどもぼくにかかればたちまち「二重の疎外」としてヘヴィなテーマにまっしぐらになりがちだけど、そこを柔らかに語られると、なんかポジティブなイメージになるから不思議だ。書名にしてからがそうだ。これまで奄美を「甘み」と誰が表現しただろう。「奄美」は「気息奄々」なのだろうか、と暗くネガティブな考察に傾きがちなのに、「甘み」なのだ。でも言われて思い出す、黒糖は甘い。

 「離島経済新聞」の初期のころ「島自慢」のイベントに参加して以来で、鯨本さんのお顔をネット中継で拝見できたし、もうひとりの著者石原みどりさんの、とても魅力的な語りを楽しめた。「黒糖焼酎」は、島語りの次元に加えて、引き取り手を生むところまでようやく来たようだ。この引き取りのなかでどんなイメージが育まれてゆくのか楽しみだ。そこが文化の母体になるだろうから。


『くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島と黒糖焼酎をつくる全25蔵の話』

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2016/10/09

カネーラ底へのアプローチ

 中本正智は『日本列島言語史の研究』のなかで、ニライ・カナイを「土の屋」、「日の屋」と解したけれど、カナイについては、別の方向からもアプローチできる。

 八重山では、ハマゴウのことを「かねーら」とも呼ぶ(山里純一「八重山歌謡に見える植物」)。場所は特定できないが、ホーギーと呼ばれる木の中にはハマゴウも入る(新里孝和、芝正己「沖縄・国頭村安田シヌグの祭祀植物ゴンズイ(1)」)。ハマゴウの花は、唇に似ていると言われるが、この場合、女性性器と見立てられたことを示している。

 女性性器は、太陽もであるから、「かねーら」も太陽にちなんだ名前だと考えられる。八重山では、カナイをカネーラと呼ぶのだから、ここでハマゴウに「太陽―女性」のシンボリズムを見ることができる。


 

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2016/10/08

「井戸ヌパタヌ子蛙誦言」(祖納)

 この歌謡は楽しい。

 プシ木ヌ      紅樹林の
 下ラヌ       下の泥土に棲息する
 キゾガマ      二枚貝(シレナシジミ)が
 ピーニ下り    サンゴ礁上に下りて
 ギラナルケ    シャコ貝にあんるまで
 バガケラヌ生命 吾が島中の人々の命は 
 島トゥトゥミ    島のあらん限り
 アラショウリ    永久にあらしめ給え(『八重山古謡(下)』

 貝はいずれシャコ貝に化身する。貝はシャコ貝の子であることがよく示されている。


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2016/10/07

太陽になる(ティナー)

 沖縄本島のこと。

 年老いて六十一才に達すると、この島では「ティナァー」と称して、手甲部文様、茎状突起部文様を大きく広げる。(後略)
 糸満の女たちは、左手手甲部文様を扇形にひろげるが、それは末広がりにしあわせがあるようにとの意だと言う説明をきいた。
 首里では、三十七才に達すると、「ティナァー」を行うともいわれている。(小原一夫『南嶋入墨考』)

 ティナァーは、針突きの仕上げだ。ティナァーは太陽を示すとすれば、針突きの仕上げとは、太陽になる、祖先に近づくことを意味している。糸満で、扇形に広げるというのも、そのことをよく示している。

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2016/10/06

童名マニュ仮説

 自分の童名であり、与論ではポピュラーなのに意味が分からないのがマニュだ。ウシ(牛)のように、一目瞭然というわけにいかない。

 1729年に琉球政庁系図座が調べた童名について、東恩納寛淳は「琉球本島に行はれた童名の殆ど全部を網羅して居る」(「琉球人名考」)と書いているが、マニュの音に近いものに、マニュクがある。

 真如古樽(貴族) 真如古(士族) 如古(Nyuku)(平民)

 Manyukuに原形を置いて、語尾のkuが脱落したと見なすと、Manyuは得られるが、しかしこれは貴族士族のものだから、それが与論でポピュラーになるのは考えにくい。語頭のマは、接頭美称ではないと考えられる。

 方向を変えなけばならない。そこで、ウシ(牛)や松(マツ)のように、動物や植物に当たってみると、植物でふたつの可能性が浮上してくる。クロツグとクスノハカエデだ。

 クロツグは、マニと呼ばれ、琉球弧ではクバの次くらいに聖なる樹木とされてきた。

 マニ 沖縄、久高、多良間、西表
 マーニ 永良部、沖縄、久米、慶良間、宮古、伊良部、石垣、西表
 マニィ 奄美大島瀬戸内
 マーニー 沖縄与那(『琉球列島植物方言集』)

 この「方言集」によると、与論ではクルツグと呼ばれているが、明らかに和名クロツグからきているので、古形はマニ周辺の音を想定していい。

 呉屋ではマニクとも言う。このマニクを元にすると、マニュは辿りやすい。

 maniku > maniu > manyu(母音に挟まれたk音の脱落)

 もうひとつは、クスノハカエデだ。これは、石灰岩の島に自生する常緑樹。

 マニク 沖縄(辺土名)
 マミカ 首里
 マミク 沖縄
 マンク 永良部
 マンクギ 永良部、与論(『琉球列島植物方言集』)

 与論のマンクギは、キを後からつけたものだから、マンクを想定していい。また、他の島での音をみると、祖形はマニク、マミクが考えられる。辺土名でマニクと呼ばれているなら、与論でのマニクもあり得るだろう。

 するとここからも、同様にマニュは得られる。

 さて、クバに次ぐほどの聖樹は童名にはなりにくいのではないかと考えると、より可能性があるのは、クスノハカエデのマニクではないかと思える。 

 そうだとしたら、マニュはマツ(松)と同じく、植物トーテムの名残りの童名だ。このマニク、マミク(クスノハカエデ)がどのように見られていたか、使われていたかを見ることで、確信を高めていけるかもしれない。粟国島のサイトで、クスノハカエデは建築材で葉は薬用とある。

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2016/10/05

太陽の貝たち

 『日本貝類方言集―民俗・分布・由来』(川名興)から、太陽の貝たちをピックアップしてみる。

Photo

 これでみると、シャコ貝、イモガイ、オツカムリ、タカラガイ、ゴホウラはそれに入ることになる。高瀬貝(サラサバティ)を「タマヌーシ」(沖永良部島)、スイジガイを「フーシ」(宮古島)と呼ぶのは霊力の表現としているようにみえる。また、イモガイは男性(性器)の系統で呼ばれている。

 このうち、「テルコニャー」だけは、大山麟五郎談によるものだ(谷川健一「海の贈り物」『黒潮の民俗学』)。 

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2016/10/04

祖先神としての神衣

 内田順子は書いている。

 ウヤーンの祭儀では、女性の神役たちは、「インパニ」や「キャーン」と呼ばれる蔓草でつくった草冠[カウスと称す。祭儀の場面によっては「ウプバー」という葉を用いることもある]をつけ、手にはリュウキュウグミモドキの小枝を束ねたもの[テーフサと称す]や、リュウキュウガキの杖[ジーグスと称す]を持ち、トウズルモドキの帯[ダギフと称す]を締める。それが、祖先紳、すなわちウヤーンの姿である。

 これはとてもありがたい記述だが、もうひとつ要素はあると思う。

 吉野裕子は、宮古島の祖神祭りにおける神衣について書いている。

 祖神祭りにおける神衣は、こもりを終えて祖神となった巫女達、つまり現人神たちの神服であり、「ウプギヌ」とよばれる。それは多分「産衣」であろう。図の如くそれは無衽、半巾袖。袖は無袖に近く、また衽がないからその原型は方形といえよう。エリは恐らく後世の附加ではないだろうか。そのもっとも注意されることはその着装法である。肩と首のところで見頃を交叉させ、見頃の前後をタスキ状にするのである。(『祭りの原理』)

 吉野の問題意識とは違うのだが、ぼくもこの着装法を知りたかった。

 草冠 蛇
 手房 蛇とシャコ貝
 杖  蛇とシャコ貝
 帯  蛇?
 神衣 苧麻
 襷  シャコ貝

 蛇とシャコ貝と苧麻。これをそろえて祖先になるわけだ。ちなみに吉野がタスキにこだわったのは、産衣との関連をつけるためだ。ぼくたちの関心事からいえば、産衣に似せているとすれは、産衣は胞衣着と見なすと、サンゴ礁の象徴化という意味になる。


『宮古島狩俣の神歌―その継承と創成』

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2016/10/03

『「日本人」の心の深みへ 「縄文的なもの」と「弥生的なもの」を巡る旅』(松本憲郎)

 「空気を読め」というような同調圧力にどう対していけばよいのか。それは一方的に否定すれば「絆」を失うし、一方的に肯定すれば「和」のなかで窒息死してしまいかねない。

 脱出の手がかりとして、松本憲郎が着目しているのが、「縄文時代にルーツを持つアイヌ民族および南西諸島の昔話にあらわれた日本人の心が、弥生時代にこうむった変化をみてゆくことによって、日本人の心の重層構造を明らかにできるのではないか」ということだった。その題材として松本が選択しているのが異類婚姻譚ということになる。

 まず、異類婚姻譚の中身に入る前に、アイヌの捉え方から見ていきたい。

 『珊瑚礁の思考』を書きながら、琉球弧に比べてアイヌは霊魂思考を発達させているということだった。たとえば、「カムイの魂を“送る”ためには「衣装」を脱いでもらう必要があります。それが、動物においては殺し解体することであり、器物においては「壊す」ことなのです」と、松本は書いているが、霊魂が自由になるためにそれを宿す身体の破壊が条件になるところにもそれは現れている。だから、これは「縄文的」なものとはいえても、一類型にとどめておく必要があると思える。

 松本は、「アイヌ民族の心」イコール「縄文人の心」と捉えているわけではない。「アイヌ民族の心」の特徴は、

 1.「日常の意識」と「深層の意識」のあいだには壁がない。
 2.「日常の意識」と「深層の意識」が、“送り”を介して出会いと別離を繰り返している。
 3.「日常の意識」と「深層の意識」が別の場所として意識されており、それを前提に出会いと別離を繰り返している。

 これが「縄文人の心」そのものでないと松本が考えるのは、「日常の意識」と「深層の意識」との“距離”が「アイヌ民族の心」よりも近いとしていることだ。なぜそう捉えるのか。アイヌの伝承によれば、「あの世」へ行くためには「入口」を通っていかなければならないからだ。ということは松本は、「この世」と「あの世」が同居していた段階を「縄文人の心」として捉えていることになる。

 松本はこの距離をこう理解している。

狩猟漁労採集の目的が「交易」のためサケ漁に大きくシフトしたことにより、森の中にあって、送り場と墓地と住居が一体となった集落構造をもつ生活空間=「縄文ランドスケープ」の中で暮らしていいた縄文人は、その生活形態を変え、川筋に住居をうつし、「平坦清爽な草原」である「アイヌ・ランドスケープ」の中で暮らすようになったということです。

 ここに「この世」と「あの世」の区別の契機を見出したということだ。しかし、森の中にすでに「送り場」があったのであれば、すでに「あの世」へ行くためには「入口」は森の中の生活で設けられていたと思える。

 確認はここまでで、ちょっと急ぎ足になるが、異類婚姻譚の構造をみると、

 アイヌ 「来訪-変身-結婚-出産-別離-結婚-出産-子孫繁栄-別離(死)-結婚」
 日本本土 「来訪-結婚-正体露見-殺害」

 「日本」の異類婚姻譚は、「動物の夫なり女房への強い拒否」があり、「配偶者が異類であることがわかってしまえばその結婚はもはや存続しえない」特徴がある。これが「弥生的」なところだが、西洋で「魔法」が必要とされるのとは違い、「変身」は自然に行われるところは、「縄文的」である。

 そこを糸口として松本は、

「縄文的なもの」こそは、「個人」として生きようとする「日本人」にとって、西洋における近代的な自我意識とは違う可能性をさし示しているのです。

 と主張することになる。ここはとても共感するところだ。

 松本は続けて書いている。

 そしてその「答え」とは(中略)、個々の主体を明確に区別しつつ、「日常の意識」と「深層の意識」の間で自由に視点を移しながら、「現実」を多面的にとらえて生きているアイヌの人々の意識に学び、自らの心の深みに、その「縄文的なもの」を「再発見」することなのです。

 これは具体的にどうすることなのか、問いは先へと進むのだけれど、琉球弧を探求する者として、島の異類婚姻譚へと旋回したい。

 琉球弧の異類婚姻譚のバリエーションも多いが、「魚女房」を取り上げてみる。

 採集-変身-結婚-喧嘩-別離-変身

 驚くことに琉球弧の場合、「来訪」が発端にはならずに、男がきれいな魚を釣るというような捕獲、採集から始まる。魚はきれいな女に変身するが、それは男にとって障害にはならずに、ふたりは結婚し子供を持つ。ところが唐突に喧嘩になり、女は名残り惜し気に海に帰る。そしてそれに終わらず残された男は嘆きの果てに鳥になってしまう。ここには「日本」の異類婚姻譚が持つような、異類の露呈が別離にならないばかりではなく、回帰構造もなく、人間もいなくなってしまう。

 ある意味では、アイヌより露骨に縄文的だともいえる。また、アイヌのように主体意識は明確ではなく、また、唐突に喧嘩してしまうように理由も定かではない。別離に終わるというところは「日本」の異類婚姻譚と同じであるものの、結局のところどちらも未練を残していて、なんというか別離しきれていない。

 まだ、深層まで読み解けないが、アイヌが人間と異類のあいだの話になっているのに対して、琉球弧の場合、異類同士のはなしになっているところが面白い。トーテムがリアルなのだ。

 ともかく、とても刺激を受ける本だ。
 

『「日本人」の心の深みへ: 「縄文的なもの」と「弥生的なもの」を巡る旅』

Photo_2


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2016/10/02

「古代人の魂について」(谷川健一)

 島尻や大神島では、旧暦十一月を「フー月」と呼ぶ。これは「寒い季節になってきて、息をふうふうと手にj吹きかけてあたためるからだと説明される。フーが人間の息と関連のあることはこれで知られる」。(「国文学 解釈と教材の研究」1975、20巻1号)。

 谷川健一が、「フーは息のこと」という理解はこの辺に端を発しているようだ。

フーはまだ魂そのものをあらわすのではなくて、魂の活動力を指すものである。それにたいしてタマスとかマブイとかいう語は、魂の一般的で、しかも静的な表現である。

 フーとは霊力のことで、タマスは霊魂のことだと思えばいい。特徴的なのは、宮古では霊力をもとに霊魂が発想されていることだ。

 宮古島では「魂を釣り上げる儀礼がある」。海の彼方の島で人が死んだ場合。カンカカリヤは釣竿を作り、その糸のさきに小石を結ぶ。そうして釣竿を三回海におろし、また三度引き上げる。そうして小石を肌着に包むと自宅に持ってかえり、この小石は仏壇の香炉や位牌のそばに、花米や麻糸と一緒に紙に包んでおく。この行事を「たましいを浮かべる」という。

 つまり、マブイグミである、「タマスうかび」という言葉はここから来ている。

 「おなり神」が「うなり神」となり「ぶなり神」と転訛するように、「苧」をあらわす「を」が「う」となり「ぶー」となり「ぷー」となっていく過程は自然に考えられる。

 この連想は面白いが、なぜ「を」を起点に置いたのかと考えると、「玉の緒」との関連をつけたかったのかもしれない。

 大神島ではタマスは七つあると信じられている。そこで、タマスの数だけ麻糸に七つの結び目を作り、それを子供の首にかけてやる。

 麻糸の結び目として霊魂があるということが、霊魂の位相をよく物語っている。霊力の塊のように霊魂が発想されているわけだ。

 もう一度、「息」のことに戻れば、

 「フー」というのは息を吹きかけることがそもそものはじめであって、それが魂ともみなされるようになったと私は思う。

 こういう仮定があって、「息のことをフーと呼ぶ」という断言が用意されたことになるのだろう。

ぐったりとした子供の頭の頂点の毛の渦巻き、すなわち「つむじ」に向かってフーと息を吹きかけることもする。

 これは、「子どもや死者の顔に向かってタマヨバイ、マブイグミをなす呪法は、息をふきかけることである」(岡本恵昭『平良市史第7巻』)によって確かめられる。

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2016/10/01

「フー」と「息」

 アブンマがタービをよむときの所作。

アブンマは手提げ袋の中からパニ[神衣、神のことばではウヤーンという]を取り出してひろげ、襟のあたりをつかんで額のあたりに捧げ持つ。顔をかくすような格好だ。それを小刻みにふるわせながら左右にゆらし、タービがよみはじめられる。

 タービの合間には、「フーシー、フーシ」と唱えられる。谷川健一は、それを「フーは息のことであるから、フーシーというのは衣装に息を吹きかけることではないかと考えられる。着物を人体と見立てて、それに霊魂を籠める所作を示しているのではないか」(『南島文学発生論』)とみなした。

 内田順子は書いている。衣が、魂を付着させるための道具になるという事例は、南西諸島のあちこちに見られる。

 狩俣では、新調した着物を子供に着せるとき、着物をひろげて家の中柱にあてがい、「キスンナ ヤブリピストー スグリ(着物は破れ、人はすぐれる)」と唱え、子供を東向きに立たせて着せたという」。新しい着物の霊力に子供が負けないように、とのことらしい。

 奄美や沖縄で、背守りをするのとは異なっている。着物は、ここでは霊魂を込めるものではなく、もうひとつの霊力の表現を見なされている。

 内田は、「「フー」が息を意味するかどうは別として」と書いている。ぼくがこの本に当たってみたのも、谷川が「フーは息のことであるから」と書いているのを確かめたかったからだが、内田も保留にしているわけだ。


『宮古島狩俣の神歌―その継承と創成』


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