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2016/09/25

「呪術と霊魂観」(幸地哲)

 幸地哲が宮古島砂川を例にした「呪術と霊魂観」が面白い。

 幸地は、タマスウカビを「魂浮かび」と解している。これは「茅」を身体と霊魂に見立てて椀に浮かべるところから来ているのだと思える。

 面白いのは、病気、死後の状態の図解で、幸地は、死後に明確に分離する状態を描いていることだ。ぼくたちはこれまで、病気は、一時的な分離を指していると捉えてきたからだ。

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タマスウカビによってもとの身体の中に安定化される魂とは、一時的に遊離しただけで完全な遊離とはみなさないので、(B)のように魂を身体から切り離さないでどこかで一部身体につながっていると解し、図式化した。
特に大病になると図1(B)のような身体と魂がかろうじて接触しうる状態で危険と解される。魂が有利したのをようやく接触させた段階と考えたい。

 幸地が宮古島出身者なのか知らないのだが、これは島人の感覚をよく捉えているのではないだろうか。つまり、宮古、八重山では完全な霊肉分離とは捉えられず、霊魂が霊力的にみなされているのだ。ブー(芋麻)を身体に巻きつけるのも、身体から完全に話さないためと見なせば合点がいく。

 それを捉えると、「マブイグミ」に対応する言葉は、「タマシツケ」なのだと思う。

 cf.幸地哲「呪術と霊魂観-宮古島砂川を中心として-」(「沖縄民俗研究」2号、1979)


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