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2016/09/27

『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』(吉田麻子)

 「皇国史観の元祖」であり「狂信的国粋主義」者であるという平田篤胤像を、この本は等身大のものに差し戻している。著者の吉田麻子がイデオロギーでそうしているのではなく、ありのままに平田に向き合うことでそれはなされている。

 「皇国史観の元祖」、「狂信的国粋主義」者という平田篤胤像も、戦後のトラウマがつくりあげたものだ。考えてみれば、明治以前の平田が太平洋戦争を支える思想を用意できるはずもなかった。もっと手前で言っても、平田は明治維新を起こす原動力となる渦中にいたのでもなかった。実際、朱子学を旨とする江戸幕府にとって、国学は危険視され、平田篤胤も出版を禁止され、晩年は故郷秋田への隠棲を強いられて没している。

 ただ、平田がそれをかすかにでも共有していなかったわけではないのは、彼の探究が、ロシアの接近の情報を得たいたからこそ生まれたと見なせば、尊王攘夷の旗印になることは、偶然ではなかったとも言える。1843年、平田は江戸への復帰をかなわぬまま没しているが、それから沖縄を経由してペリーが浦賀へやってくるのはわずか10年後である。

 吉本隆明は、国学がなぜ明治の革命原理になりえたのか長いこと分からなかったが、中国からの借り物ではなく、自前の思想だったがゆえに革命原理になりえたことに気づいたと、晩年に何度か述懐しているが、平田の探究の動機から言うと、自前の必要は時代の趨勢を感じた危機意識がもたらしたものだということを本書は教えている。

 本書を通してみると、平田篤胤が狂信的国粋主義者と見なされるのは、日本が世界のもとになった国と主張したことに依るのかもしれない。今からみれば、荒唐無稽なのだが、しかし、そう平田に考えさせたのは、『古事記』『日本書紀』あるいは、それすら元の形をなしていないとして、周辺の文献や伝承からもとの形は復元できると平田に考えさせた資産があったからだとも言える。中国の圧倒的な文明を意識して、『古事記』『日本書紀』が編まれたとすれば、平田らがやったのは、西洋の接近を意識した『古事記』『日本書紀』の祖形の復元であり、そういう意味では時代の反復を意味している。

 『古事記』や『日本書紀』などの資産がたぶん特異なのは、神話時代のことが文字として豊富に記述されていることに依るのだと思える。

 そこで、吉田のガイドに添って平田の世界観を覗いてみることにすると、死後の世界である「幽冥界」は、

人間の世界から遠く離れたところにはない。この地球上の、われわれの日常に隣り合わせるように、重なるようにして存在している。
「すぐそばにある死者の世界」に包み込まれるようにして、あるいは死者や神々と一体となって、われわれは生きつづけている。
 私たちを包み込むように、そして現世に重なるようにして存在する幽冥界。そこは死んでしまった親しい人々の霊ばかりでなく、天狗をはじめとするさまざまな妖怪のいる場所でもあった。また、亡くなった人の霊魂は幽冥界で神となる。そして天(太陽)とのあいだを往来しながら、人間の住む現世にもときどき姿を現し、不思議なことを起こすという。

 こう考えられている。「霊魂」は、「永遠に尽きることなく、消えることもなく、墓でも祭り屋でも、祭る場所に必ずいる」とも語られる。

 これは「夜見の国」に他界をみる本居宣長より、はるかに前の段階を見たものだ。言ってみれば、他界が「夜見の国」として分離される以前、しかも他界を生者の空間と区別しなかった共存の段階にまで遡る。異なるのは、平田の思考の段階で、直線的に伸びる時間の観念は無限化しているので、霊魂は不滅ということになっている。

 死者との共存の段階では、死者の霊はそれを記憶する生者の生存の期間に限定されるから、平田の他界観は、死者との共存の段階を、直線的に伸びる時間が無限化したところで捉えられたものだ。そこで祖霊も、記憶にない世代まで遡られてオヤとして捉えられることになる。時間が無限に遡及できるものになった分、オヤも顔が思い浮かべられる範囲を逸脱して、得体のしれない巨大なものになることが想像できる。

 平田の世界観が古代以前に遡行していると思えるのは「心」観にもあって、当時あるべき姿を「曇りのない鏡」として捉えられていた「心」を、平田は「凝る」ものとして温度や動きを加えた。

 さて、そのように萌え出し、寄り集まって凝固するものをそのまま「ココロ」と名付けたのだが、心や思いが萌え出るのは、そのまま身体に固有している火によるのであるから、「燃える心」「焼ける思い」などという言葉は、その状態によく適っている。(『玉襷』七之巻)

 「曇りのない鏡」がいわば霊魂的な「心」の捉え方であるのに対して、「萌え出し、寄り集まって凝固する」「心」は霊力的であり、「心」の原義に近しいものだ。琉球弧の野生の思考に照らせば、「身体に固有している火」は、トーテムとしての貝であり、太陽を生む貝がもたらすものと理解されたのかもしれない。そしてそれは身体に貝を宿す女性に強いとも。

 『古事記』や『日本書紀』を世界記まで拡張したのは、イザナギ、イザナミによる国生みを根拠にしているように見える。イザナギ、イザナミは淡路島を胎盤として大八島を生む。そして「外国の国土は神が産んだのではなく、潮の沫が集まって成立したとされる」という。いまさら驚くことでもないが、国生みの平田理解によっても、琉球弧は外国という理解になるわけだ。

 また、平田はイザナギとイザナミの国生みの男女の交わりを重視して、それはムスビノカミにまで拡張されている。これも特徴だと思える。

 吉田麻子のガイドによる平田篤胤像は、現代なら宗教学者にして民俗学者ともいうべきもので、好奇心にあふれ、俗っぽさを手放さず、夢中になって「霊妙不可思議」を追い求めていった探究者として浮かび上がってくる。


『平田篤胤: 交響する死者・生者・神々』

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