『縄文の神 よみがえる精霊信仰』(戸矢学)
「よみがえる精霊信仰」という副題に期待したのだが、そこはあまり触れられていなかった。戸矢学によれば、古神道とは「神とともに在る」という思想で、それは四つに集約される。
1.カンナビ(神奈備等)
2.ヒモロギ(神籬等)
3.イワクラ(磐座等)
4.ヒ(霊・靈・日・火)
このうちカンナビが自然崇拝の象徴。山岳はもっとも天に近く、分け入るに困難で生活に適していない。だから、”異界”とされて、神が住まうと信じられた。
ヒモロギは、神のすまう場所で、縄文の森。鎮守の森の原型。イワクラは神の乗り物。
カンナビ、ヒモロギ、イワクラは「珊瑚礁の思考」からみれば、生命の源泉の場であり、死者が還るという意味では、いずれ生まれ変わる死者のいる場でもあった。つまり、縄文の「あの世」でもある。それが、山、森、岩というバリエーションで語られている。このうち岩はトーテムにもなりうるものだと思う。
学ばせてもらったのは麻のことだ。麻を収穫すると「麻酔い」をする。「麻は他の植物とは違う-そう縄文人は感じていたことだろう」。「麻酔いをもってある種の”神憑り”と受け止めるlことは容易に想像がつく」。「古来、祭りには火が付きものであるが、大麻草をその火にくべて、住民全員が意図的に陶酔するような状況があったかもしれない」。
大麻(おおぬさ)は別名「祓串」で「神前でお祓いをおこなう際に参詣者の頭上で左右左と振る祭具」。大麻はヒモロギ(神籬)の簡略化。
ヒモロギは、生木である榊の枝に木綿や麻苧、神垂等を下げたもので、古来依り代としても祓串としても用いるが、その榊を保存性の良い白木に代えて象徴的な意匠としたものが大麻である。
神道祭祀のもっともシンプルな形は、「神と大麻と人」という構図である。「大麻が神と人を媒介する」。戸矢によれば、大麻は、古来保有しているシャーマニズムが継承されたものだ。
縄文土器の文様に使われた縄は「麻縄」、縄文人の衣服も麻織物・麻布。
ここで立ち止まるのは、琉球弧では苧麻がトーテムだったと知っているからだ。ぼくはそれを可視化された「息」として捉え、宮古、八重山ではそれを通じて霊魂を捉えたとも考えている。この「麻酔い」は、「息」の可視化について視点を与えてくれる。つまり、苧麻は霊力の発現(あるいは霊魂の遊離)を誘発するのだ。
苧麻がトーテムとするのは、霊力としての「息」の発現を誘発し、その息が可視化されたものと見なされたことによる。それは人間身体の内部にあるもとの照応物を見い出すことに他ならないから、憑依を旨とする霊魂の技術が誕生することと同じである。
戸矢は土偶文様について書いている。
この世は精霊で満ちている。縄文人の感性がそれをこのように見た。精霊たちが犇めき渦巻き流動する様を図案化したものが、土偶の文様なのではないか。そして精霊に覆われていること、あるいは精霊と一体であることを表現しているのではないだろうか。-すなわちこの文様は精霊である。
これはぼくたちの言葉でいえば、人間として化身する精霊が刻印されているということになる。
また、「入墨は精霊の仲間入りをするための技術であり儀礼である」としているが、もともと人間も精霊を元にしているのであれば、入墨は「仲間入り」というより、人間の本体である精霊を象徴化したものだ。
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