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2016/09/02

来間島の位相

 谷川健一は、「太陽の洞窟」で書いている。

 さて、来間島で聞いた話では、この島の東がわには、非常にふかい洞窟があって、途中タカが洞窟を守っている。その底には牡丹の花があり、太陽の光線が射しこんでそれに当たるところがある。そこでこの洞窟を「太陽が洞窟(がま)」と呼ぶという。

 太陽の光で浮かび上がる牡丹の花は貝の名残りだ。この話は、太陽が昇るということが貝が口を開くことであるということが象徴的に捉えられているのだと思う。

 追記で谷川は、来間島を調査した桜井徳太郎の談を載せている。

太陽は東の御嶽からのぼって部落の天空をわたり、西の御嶽にしずむ。それから島の真下をとおってふたたび東の御嶽からのぼると島民に信じられている。

 洞窟と太陽の結びつきは、他界が遠隔化されると、御嶽と太陽の結びつきとして変換される。

 タカの話は『琉球のニュー・エスノグラフィー』(松井健)でもう少し詳細を聞ける。

 タカ(サシバ)は、北から南へ渡っているが、島に来る際は、北風に抗して北上しているように見える。このため、タカは南からやって来ると信じられていた。

「シマ」の北にある「ティダガマ」(太陽洞)に、「タカイス」(「タカ」石)があって、いわば、この石に礼拝するために、「タカ」は最初に、この来間島に飛来するという理由付けがなされてきた。
もっとも南に位置するということが、来間島を宮古諸島中もっとも神高い島とみなす島人の心情にひとつの信念の基盤を与えることになったわけである。

 タカは聖なる方向から飛来するため、信仰深い人たちは「自らも「タカ」を食べようとはしない」。タカは聖なる鳥なのだ。

 まさに、来間島も「あの世」のシマだったわけだ。宮古島の周辺離島はすべて「あの世」のシマだったことになる。

 上で整理したことは、最初、湧上元雄の「太陽信仰の島」(「日中文化研究」5号、1993年)で知った。来間島の御嶽を経由した太陽の昇降の出典が、大林太良「太陽と火」(『太陽と月』)とあったので、求めたが見つからない。あれこれみて谷川の文章だということに気づいた。こういうルートで探す人は滅多にいないだろうが、不要な迷いをせずに済む人もあるかもしれないので、書いておく。


『谷川健一全集〈第10巻〉民俗2―女の風土記・埋もれた日本地図(抄録)・黒潮の民俗学(抄録)』

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