広田遺跡の貝符の位相
いまのところ素朴な仮説に過ぎないけれど、今後確かめることとしてメモしておきたい。
種子島広田遺跡の貝符の編年を、
下層 弥生時代後期後半~古墳時代中期
上層 古墳時代後期
として置いておく。
下層は「装飾品」であり、上層は「副葬品」に意味が変わる。また、上層では二次葬に伴う副葬品だ。貝符のタイプも全く異なり、「この圧倒的な型式の総入れ替えともいえる転換(あるいは断絶)が意味するところは大きい」(矢持久民枝「広田遺跡出土貝符の検討」)。
下層貝符について、素材の「貝」と形態の「蝶」、文様の「蛇」と「蝶」に分解してみる。広田人もまた、蛇と貝の子供たちだったのではないだろうか。
それが上層では、素材の「貝」と文様「蝶」に落ち着く。「蛇」の欠如は、蛇が神化したことを示唆する。
それはつまり、上層と下層の転換は、生と死の分離を意味するのではないだろうか。「装飾品」である段階では、トーテムとしては貝と蛇の子に返り、霊魂は蝶に化身する。上層では、貝は聖なる動物として素材に用いられる、霊魂は蝶に化身して他界まで行くことが考えられたのではないだろうか。そして再葬は、死者が神になるための儀礼だったのではないだろうか。
生と死の分離が、古墳時代中期から後期併行期の時点なのは、本土の歴史からすれば遅い。しかし、種子島は本土とは近いとはいえ島であり、また、琉球弧の生と死の分離に比べれば早い。グラデーションとまでは言えないが、ここに段落を認めることはできる。
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