ニライカナイ・メモ
「FRONT(水の情報文化誌)2006」から、ニライカナイ・メモ。
祖霊神系の御嶽が集落の「腰当」森を形成するのに対して、ニライ系の聖地は海洋を望見できる山頂・岬端・浜辺や地先の小島にあり、「遥拝(お通し)」の性格を有する。(浦山隆一)
「山頂・岬端・浜辺や地先の小島」は分解して考えることができる。
山頂 遠隔化された他界で、海の彼方のニライカナイに対応
岬端 ニライカナイの遠隔化に伴った境界部
浜辺 他界との境界部
地先の小島 かつての他界
久高島のクボー御嶽の北側、岩礁で囲まれたところ。
ここにもクバの林があり神谷原(かべーる)と呼ばれ、ここには神が住んでいたとされる。また、伊敷浜もこの近くにあり、この浜からニライカナイへ遥拝する習わしは、現在でも受け継がれている(高良倉行)。
「神谷原(かべーる)」の森は、久高島のかつての他界であることが分かる。
往古、久高島にニライカナイから降臨した神は、島々を造り、人を招き、久高島から点在する小島、コマカ島、アドキ島などを経て本島の玉城村百名のヤハラヅカサに上陸し、ミントングスクに移る(高良倉行)。
この記述に則れば、玉木村の他界は、アドキ島、コマカ島、久高島へと遠ざかっていったことになる。
対岸に小島のない宜野座村字宜野座の古代の葬地は、宜野座大川の川口をへだてた対岸の字松田に葬地を設け、その地をカメーヌメェー(神の在わす目途(あたり)と呼んでいるのである。(久手堅憲夫)。
宜野座は、川向こうの他界を示してくれている。
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