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2016/09/18

「米比防衛協力強化協定の概要と締結の背景」(波照間陽)

 波照間陽の「米比防衛協力強化協定の概要と締結の背景」(2014)。

 そもそも米西戦争を経て、20世紀初頭には、米国はフィリピンにスービック海軍基地とクラーク空軍基地を持っていた。太平洋戦争を経て独立したフィリピンの基地を維持するため、1947年米国とフィリピンは軍事基地協定に調印。

 その際、99年間米国に提供するという内容になっていた。1959年の改定で、基地協定の基準を99年から25年に短縮することが決められる。その後1965年の交渉で、1991年に失効することが規定される。

 この91年の失効を前に、フィリピンは民主主義に移行し、コラソン・アキノ政権下で、91年の失効後、外国軍による基地の使用については上院の承認等が必要となることが規定された。これは国民投票で80パーセントの支持を得た新憲法による。

 段階的縮小と延長使用を提案する米国と折り合いがつかず、交渉は1年以上にわたる。その91年、ピナツボ山が噴火し、クラーク基地が多大な損害を被る。その修繕にかかる5.2億ドルと見積もられた費用について、米国議会は拠出を認めず、クラーク基地はフィリピンに返還されることになった。92年にはスーピック基地からも撤退を完了。

 しかし、イスラム系組織の反政府活動、南沙諸島の領有権をめぐる周辺諸国との対立などに対し、フィリピン政府は防衛能力の向上を図ることが困難な状況にあり、98年に米軍のフィリピンへの寄港と一時滞在を認める協定を結ぶ。

 2014年、米軍がフィリピン軍の基地を使用し、航空機や艦船の事前に配備することが可能となる防衛力強化協定が結ばれる。この協定の背景には、「南シナ海における中国の強硬な行動」があると考えられる。

74年、当時の南ベトナム政府軍と中国軍が西沙諸島をめぐって交戦し、中国が全ての島嶼を制圧した。88年には、南沙諸島のサウスジョンソン礁をめぐって同二国間で武力衝突が発生し、ベトナム側に80名近くの犠牲者を出した。(中略)94年、フィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁に中国が構㐀物を建設した。(中略)2012年4月、ルソン島西岸から約 200キロメートル沖に位置するスカボロー礁付近で、違法操業する中国の漁船を発見し、取り締まろうとするフィリピン海軍を中国海監が妨害した結果、両国の監視船が対峙する事態が発生した。(中略)さらに、2014年2月、スカボロー礁付近で、中国の海洋監視船がフィリピン漁船に放水し、海域から追い出した。この行動から、中国が同礁を実行支配しつつあると言える。

 この状況を鑑みれば、「フィリピン政府や軍にとって EDCA(今回の協定-引用者)は歓迎されるものである」。しかし、「しかし、中国は米比新協定を自らに対する封じ込め戦略として受け取り、警戒感を高めている。中国との敵対関係が進行することも危惧される」。

 波照間はここで、「米比間の新協定は沖縄とって必ずしもプラスになるとは言えない。それは、米国と中国の対立がこれまで以上に高まると考えられるからである」としている。

 波照間の論文を引いたのは、数日前のドゥテルテ大統領の米軍依存を辞めるという示唆を受けて、これまでの経緯を押さえておきたかった。それにしても、91年の撤退まで、フィリピンには90年前後にわたり米軍が駐留していたわけだ。しかも交渉はアキノ政権から始められたわけではなく長期に及んでいる。ピナツボ山の噴火という自然災害も後押ししている。

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