『琉球独立への経済学』(松島泰勝)
『琉球独立宣言』のときと同様、松島への提案から入りたい。『琉球独立宣言』では、「琉球」の対象から奄美が外れていた。
今回の「経済学」では、それはこのように注記されている。
本書では琉球の範囲として、1609年に島津藩が琉球を侵略して奄美諸島を直轄領とする時期までは奄美諸島、沖縄諸島、宮古・八重山諸島を琉球とするが、それ以降は、沖縄諸島、宮古・八重山諸島を琉球とする。これは琉球を分断して統治する、日本の琉球に対する、日本の琉球に対する植民地主義の傷跡でもある。琉球文化圏という言葉から明らかなように、琉球の島々はサンゴ礁の島々から構成され、歴史的、文化的な多くの共通点を持ち、動植物も類似しており、日本による植民地支配からともに脱することができよう。
こういう認識であれば、『琉球独立宣言』の感想でも書いたように「奄美」をその範囲から除外する必要はない。ぼくがもっとも重視するのも、松島が書いているようにサンゴ礁の島々から構成される琉球文化圏であり、それは縄文期から醸成されている基盤の強いものだから、1609年の他律的な出来事を機に区別する必要はないのではないだろうか。今回は、沖永良部島や奄美大島の「自己決定権」についても言及されているのだから。そこが今回も同様の提案になる。
また、ありがたいことにぼくの書いた『奄美自立論』にも触れているところがあるので応答したい。
喜山が指摘するように「奄美は琉球ではない、大和でもない。だが琉球にもなれ大和にもなれ」と、奄美は二重の疎外を受けてきた。奄美が鹿児島県、沖縄県のどちらかに帰属することによっては、二重の疎外から脱することはできないだろう。大きなものに帰属すれば、そこからまた新たな悲劇の歴史が生まれるだけである。島に住む人間の自己決定権の行使によってしか、400年間の植民地支配から解放されないことを、沖永良部島の集いやシンポから学んだ。
原則的にはそうだ。二重の疎外は、薩摩が奄美を直轄領としながら、それを清や幕府に隠蔽するという複雑で根暗い政策に淵源している。その構造は近代以降、個人の生の困難としても立ち現われたが、もともと外的な政治要因によって生まれたものであれば、それを解除することによって、疎外の一部を除くことはできると思える。
新たな琉球国に参加する島もあれば、単独で独立する島、日本国にそのまま残る島のように、島に応じて対応が異なるであろう。それぞれの島人の自己決定権を認めてこそ、琉球国は自由で民主的な国になることができる。
こういう、たぶん驚かれるだろう国家像を提示しているのであれば、なおのこと琉球独立以前に、帰属の問いかけがあっていいのだ。
琉球国は、近代国民国家のような国家主義に基づく国にはならない。琉球の人々の人権を抑圧する日本政府の植民地主義から解放されるために、国という政治的枠組みを使うのである。
たぶん、国家機関説とでも言うような仮象の国家像に新しさもあれば隘路も潜んでいる。けれどもまた磨くだけの価値はあるとも思う。
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