「ビジュル信仰」(平敷令治)2
おおまかに言えば、境界部にビジュルがあり、辻には石敢當、御嶽にはイビがあるというのが、琉球弧の石神の配置になる。
平敷によれば、八重山のビジュルの分布密度は高く、「沖縄諸島の比ではない」。零落の一途をたどっているのは田畑のビジュル。「与那国では田植の時には今でも田のビディリを祀る」。
だが、期待に反して、ニールスク(地底)から顕現したという伝承についてはいまだに一例も確認しえない。
これは興味深いことだと思う。これは、八重山では「境界」より、「霊力あふれる場」という思考が残っていることを意味するのではないだろうか。
恩納の習俗。
毎年六月二十五日にフトゥキヌメーから船を出してヨー島に渡り、ノロがビジュルを持ちあげた。石を重く感ずれば二度目にスクが寄る時には豊漁を意味したという。
スクは石に化身するという思考の現われだと思う。スクと縄文の「あの世」と石という素晴らしい取り合わせ。
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