トモカヅキと猿田彦森
荒俣宏は、海女に伝わるトモカヅキの伝承を紹介している(「サルタヒコが白かったとき」)。海女たちはトモカヅキという妖怪に襲われてしばしば溺死する。トモカヅキは「伴に潜(かず)く」を意味する。海女が潜っていると、もう一人の海女がアワビを採っている。近づくと、その海女が手にしたアワビを差し出す。うっかり受け取ると、相手の海女に手をつかまれる。見ると、自分にそっくりの海女。おうして溺死させられる。
ここで荒俣は、「ひょっとしたら、サルタヒコは海中で、もう一人の自分に遭遇してしまったのかもしれない」と書くが、これはある意味でその通りだ。蛇とシャコ貝の子が、母に出会ったのだ。
鳥羽の白髭明神は「しろんご様」と呼ばれるが、実のところ「サルタヒコ神」と信じられている。それは竜神にとってかわった「しろんご様」というのも、親から子への交替だ。
サルタヒコの「白」について、荒俣は古代人の色彩感覚からすると、「赤」は彩度を表わすのではなく、明度を表わした。だから、色は「白」なのだと解している。これは、「赤」の語源である「昇り」の意味に適っている。
櫻井治男は、サルタヒコの伝承地として「猿田彦森」を挙げている。
伊勢の内宮から五十鈴川を遡行し、志摩へ抜ける道の峠に「猿田彦森」はある。その五十鈴川流域の「一の瀬の渡り」にある伝承。「一の瀬」は、逢坂山の峠へいたる出発点となる。そこは25、6個の石を並べた渡りで、通過する人は小石を奉捧するならわしになっている。
親が病気と聞いた娘がかけつけたいと思い、一の瀬までくると、増水し行きも帰りもできなくなってしまった。そのとき、助けてくださいと拝むと、不思議なことに岸へ渡っていた。杉元の近くには、白髪の親父様、「背の高き人白むくの薄よこれたるを着て」立っていた。茶屋でこの話をすると、「生神さんの御助」と言われる。
ここにサルタヒコ神の伝承は直接、語られない。櫻井は「みすごしてよいかもしれない」としながら、
1.瀬となっている場(境界)での神にかかわること
2.五十鈴川を媒介として、この地が逢坂峠と結ばれていること
3.生神の姿が「白髪」「背の高き人」とされていること
4.天照大神を念じたところに現われた「生神」であるが、同神の示現でもなさそうなこと
を、「どのように理解するかという課題は残されている」としている。
荒俣の記述を受ければ、「白髪」の「背の高き人」は、「しろんご様」で、サルタヒコだと見なせる。
要は、五十鈴川から猿田彦森へいたるところは、サルタヒコの人々にとっての「かつてのあの世」だったわけだ。
猿田彦がことを終えて、五十鈴川の川上へ帰るのは、そこがかつての「あの世」だったからだ。ここでも、神は来訪の際、かつての「あの世」を経由することが語られている。
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