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2016/08/31

『アースダイバー』(中沢新一)

 遅ればせながら中沢新一の『アースダイバー』を読み、問題意識が重なっているのに驚いた。ただ、中沢はここで「岬」に注目して力点を置いている。ぼくはといえば、その前段階で遠隔化する前の他界を見つけたいと思っているところがずれてはいる。

 でも一箇所、遠隔化される以前の他界の場所にも気づくことができた。なんと円山町だ。

道玄坂の裏側の谷には、別のかたちをした死の領域への出入り口が、つくられてあった。うねうねと道玄坂を登っていくと、頂上近くに「荒木山」という小高い丘があらわれた。いまの円山町あたりである。この荒木山の背後は急な坂道になっていて、深い谷の底に続いていく。そこに「神泉」という泉がわいていた。

 おそらく「神泉」は境界部であり、荒木山は「あの世」だったのだ。この谷の全域はかつて火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が、多数住んでいたという。

 中沢の関心からいえば、

沖積地の台地が海に突き出していた岬で、たくさんの古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地ができたりしてる。

 そこから聞こえてくる「大地の歌」。

 時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊力性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。

 「岬」は、遠隔化された他界との境界部になる。このとき、場所によっては境界部は移動したのだと思う。

 首都のほぼ西北の方角にある代々木の御料地が、明治天皇の御霊を祀る国家的な神社の立てられるべき場所として選ばれた背景には、あきらかに、そこを東京と国家を護るべき、守護霊のおさまり場所にしようという、象徴的な思考が働いていた。

 「けっきょく、文明開化などによっても、深層で動いている日本人の思考は、すこしも変わらなかったわけである」。

 この明治神宮のポジションは、死者との共存や身近な「あの世」にも通じているのだろう。

 「東京タワーは、縄文時代以来の死霊の王国のあった、その場所に建てられたのである」。「東京タワーは死者の王国であるニライカナイにずぶずぶと足をつっこんで、そこから霞みたつ東京の空に向かうのだ」。

 つまり、東京タワーは、鉄塔の下を「御嶽」とし、てっぺんをニライカナイとした他界へとエレベーターを走らせている。

いまの芝公園のあたりには、こんもりとした丘が海面から立ち上がり、その丘の裏側は大きな入り江になっていて、奥深くまで海が入り込んでいるのである。
 その丘の上に、人々は死者を埋葬する場所をつくった。自分たちの食べた貝の殻をていねいに「埋葬」する貝塚も、その近くにはできていた。少し時代が経つと、同じ場所には古墳がつくられた。縄文の人たちが知らなかった、権力者というものが出現するようになったからである。

 この古墳は、海の彼方の他界への境界部をなしたのだと思う。

 備忘メモ。神官とも山伏ともつかない格好をした修行者を、優婆塞(うばそく)、角筈(つのはず)とも呼んだ。シャーマンの杖。

 

『アースダイバー』


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