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2016/08/02

「海人伝承考―「貝の道」譚復元の試み―」(木下尚子)

 木下尚子は、猿田彦神話について書いている。

 シャコ貝はふつうの二枚貝と異なり、貝殻復縁を上に蝶番を下にして、海底に立つような姿勢になっているが、それは貝殻本体から筋肉(足糸)がのびて、貝をサンゴ礁の岩に固着させているからだ。足糸はヒメジャコ、シラナミにとくに発達している。シャコ貝はいつもある程度殻を開いていて、ここから青や緑、紫、褐色の外套膜を波打つ襟のように出しているので、容易に見つけることができる。貝の上に影が落ちたり、神童が伝わったりすると、たいまち~を閉じ、しばらく開かない。ヒレジャコやシャゴウは枝サンゴの階梯に潜住むが、ヒメジャコやイシラナミは潮干狩りのよできるようなところに生息する。

 木下は、南九州の海人が貝交易の前線で黒潮海域を往来していた。その人たちがシャコガイの失敗談を生み出し、隼人を介して中央に取り込まれ、猿田彦の溺死譚になった、と仮説した。

 木下は谷川説に異論を出している。インドネシア系の南方説話が沖縄を経由して伊勢に定着するためには、琉球列島を北上しなければならないが、先島と沖縄諸島文化の往来が始まるのは、ようやく10世紀である。猿田彦神話は遅くとも8世紀はじめには大和で成立しているので、谷川の検証は難しい。

 琉球が「シャコガイに新たな呼称を与え、その本来もつ呪的用法をも変化させていくのは、グスク時代~古琉球期(一二~一五世紀)とみられる」から、「追究すべきは琉球方言ではなく、「十字の交叉に呪力を認める思想」をもつ日本語「あざう(糾、叉)「であろう」。

 民俗学と考古学の懸隔の好例だ。


 

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