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2016/08/28

『島尾敏雄』(比嘉加津夫)

 ぼくにとって島尾敏雄といえば、夢見もの、戦記もの、『死の棘』、吉本隆明との交流、そしてヤポネシア、琉球弧だが、多岐にわたるもののつまみ食いのように読んできたことに思い至る。こんど、比嘉加津夫の『島尾敏雄』を読み、はじめてこの作家の生涯をたどることができた。

 読み終えて、島尾さんはよく闘い抜いたのだなという思いが寄せてくる。何にかといえば、自己の資質と言うしかない。

 そういうことなのかなと思えたのは、比嘉がこう書いているところだ。「島尾敏雄は意識が見る地獄と真正面から対峙していた」。

 だからといって島尾敏雄はそのこと自体を決して地獄だ、地獄だというふうには書かない。特に『魚雷艇学生』ではそうである。というより、むしろ逆の意識を持っている。この意識は一体どこから来ているのか。通読しておもうに、この意識は主人公が現実世界でおきていく事柄を正面からひき受けなければならないと純粋なまでにおもいこんでいるところからきているだろう。少年の意識そのものと言ってほどにも純粋にそうおもいこんでいる。

 もしかしたら島尾が生涯、堅持したのはこの資質だったのかもしれない。 

 奄美に果たした島尾さんの寄与は巨大なものだと思う。それはまだ充分、言葉になっていない。島尾さんがいなければ、この島々はいまよりも不可視の地帯だったのではないだろうか。「琉球弧」「ヤポネシア」の言葉も奄美から着想された。いまではあまり顧みられなくなっているかもしれないけれど、愛着を持つ所以だ。
 

『島尾敏雄』


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