「蒲葵の葉世」の段階
吉野裕子は、蒲葵が進行されたのは「その幹が蛇や男根相似のためである」と解してた。蛇とシャコ貝の関係を見てきたぼくたちは、蒲葵を「蛇とシャコ貝」の複合とみることができる。
沖縄では世のはじまりを蒲葵の葉世(クバヌハユー)という。衣服がなく男女ともクバの葉でつくった蓑を腰にまとっていた。近世まであった七襞袴(ナナヒジャカカン)は、襞の極めて多い朝の裳であるが、これはクバの腰巻の遺制という。今でも生児の名づけのとき、老女がこの袴を頭にのせて出る風習がある。住居にもクバが用いられ、イザイホウの祭りにも、女性がこもる仮屋はこれで茸くという。(柳田國男『海南小記』)
蒲葵の葉で作った腰巻は、少なくともシャコ貝をトーテムとした時代まで遡れるのではないだろうか。言い換えれば、「蒲葵の葉世」は、蛇とシャコ貝の時代の謂いだ。そうすると、「蒲葵の葉世」は、「アマン世」より古いということになる。
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