『祝祭性と狂気』(渡辺哲夫)
精神病理学者としての真摯な自問自答に対して、こちらに引き寄せた読み取りをするのは気が引けるが、自分たちのこととして切実なので許してもらうことにする。
とても関心を引くのはカンカカリャの根間ツルのカンダーリの過程だ。彼女は、カンダーリのなかで、骨も内蔵もぜんぶ入れ替えられてしまう。
「どうして、こんなことをしているのか」と聞くと、神さまが、
「あんたは生身な人間だから、あんたが今後、神様が出たり入ったり出来るように、神の使いが出来るように、あんたを創り替えている」と言う。
この過程は、シベリアのシャーマンやオーストラリアの呪医が、「候補者は半神的存在または祖先による手術が施され、内臓と骨とは別物にとりかえられる」(エリアーデ『シャーマニズム』)のとそっくりである。おそらく位相として同じことを指しているのだ。
ぼくの考えでは、これは霊魂が発生する前、万物が流動的なエネルギーともいうべき「霊力」で満たされていると考えられたところで生まれた思考だ。そこでは、病気は「呪物」が身体に入ることと見なされるので、シャーマンはマッサージを行ない、呪物を取り除くのが治療行為になる。そこではシャーマンになるとは、むしろ呪物で身体を満たすことで霊力の技術者になるから、成巫の過程では、肉と骨を入れ替える身体改造が行なわれることになるのだ。
宮古島のカンカカリャのカンダーリは、その段階の記憶を保存していることになる。面白いのは、この身体改造がスデルと結びつけられていることだ。
生まれ変わる。巣出変わる、というのはこれだよ。あんたは、こうして生きていて、一人の人間に生まれ変わるんだよ。
これはつまり、カンカカリャのカンダーリの過程で言われるスデルが、「霊魂」発生前の「霊力」の時代の「不死」の段階に届くことを示唆するものだ。
このことは渡辺にも的確に捉えられている。
「巣出変わり」は単なる「再生」ではない。まさしく「蛇」の脱皮にみられるように、「スディ変わり」はより大きく、より強力になること、そしてより高い能力を身につけることなのである。
問題はやはりカンカカリャと「蛇」の関係なのだ。「不死」と直覚される何かなのである。「この世とあの世の通り道」としか表現できない、「この世とあの世の境目に腰を据えて生きてゆく」とでも言うしかない何かが物語られている。
解かるように、「巣出変わる」能力を身につけたカンカカリャは人間よりも蛇に近い存在なのである。誤解はされまいが、これは現代人の日常感覚次元ではなく生命論的次元で言いうることである。
「カンカカリャは人間よりも蛇に近い存在」という直観は的を射ていると思える。これは島人が蛇をトーテムとしたこと、あるいは蛇の精霊の化身態として人間を理解していた思考の段階に届くものだ。しかも、蛇と貝の精霊の子ではなく、蛇単体として想起されていることがもともとの思考の古さを物語っている。
これは漲水御嶽の由来譚にも示されている。本土の三輪山伝説に似た琉球弧の浜下りの由来譚の「人蛇婚説話」では、女を身ごもらせる蛇は死に、女は浜辺で蛇の子を流産する。それが蛇に象徴されるトーテミズムとの決別であり、決別の証として以来、女性は浜辺で身を清めることになった。
しかし、漲水では「大蛇は光を放って昇天、三人の子は御嶽に入って宮古の守護神になった」と、蛇は死に絶えるわけではない。むしろ、昇天しあるいは蛇の子が高神(御嶽の神)となってすらいて、高神の由来がある意味では、蛇の精霊の化身態であることがよく保存されている。ヨーゼフ・クライナーが聞き取りしたように、ふつう高神はその表象性を消していくのだが、漲水では、宮古では、精霊の面影を残すほうへ思考は動いたのだ。
それは現代の詩人によっても、「ティンヌパウよ!太陽加那志神様のまなざしにいだかれて、浮きあがり、美しく照り映える七色のわが神体、巫民誰ひとりにもその本体を知られぬまま(伊良波盛男)」と書かれるように、ひとり神女だけに残されたものではない。
著者が宮古島に惹かれているように言えば、ぼくたちはここで宮古島の特異さに触れている。しかし特異ということは異質ということではない。琉球弧では、神女たちが「世乞い」や「世果報」という言葉で生死が未分だった「世」を引き寄せる努力を続けてきたが、それでも精霊としての蛇とのかかわりは消去されていることが多いのに、その面影を残しているところに宮古島の霊力思考の強度が現われている。この個性は宮古島ならではのものかもしれない。
付け加えれば、「竜神、蛇神、「ティンヌパウ」、すなわち祖霊神と「まじわる」、「スディ水」と化した女たち」と、しばしば神女と神とのまじわりということも特徴として挙げられる。しかし、これは神が出現し、神女が神を対幻想の対象とすることで生まれる思考、つまり精霊との決別ののちに生まれたものであり、段階としては新しい。
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