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2016/08/08

「世界の中の日本の宗教」(梅原猛)

 「ニライカナイの原像」の日が近づいてきているところで、梅原猛の『日本人の「あの世」観』を視野を届かせておくことにする。「世界の中の日本の宗教」という講演録だ。1988年のものだから、もう28年前のものではある。

 梅原は、従来の日本および日本文化の理解が「農業文化を中心とする一元論的解釈の上に立って」いることに不満だったが、アイヌと沖縄に縄文文化を見い出した。そこに原「あの世」観があり、それを理想型として捉えるのだという。

 梅原によれば、それは四つの命題に集約される。

 1.あの世は、この世と全くあべこべの世界だが、この世とあまり変わらない。
 2.人が死ぬと魂は肉体を離れて、あの世に行って神になる。
 3.人間だけではなく、すべての生きるものには魂があり、死ねばその魂は肉体を離れてあの世へ行ける。
 4.あの世でしばらく滞在した魂は、やがてこの世へ帰ってくる。誕生とは、あの世の魂の再生に過ぎない。

 ぼくが「ニライカナイの原像」で付け加えたいと思っている理解があるとしたら、原「あの世」は、海の彼方でも山の頂でも天でもない、具体的な場所を身近に持っていたことだ。死者には居場所があったのである。そのことの現在的な意味を充分に言うことはできないが、少なくともこの点は隠され続けてきていると思える。このことからすれば、「あべこべの世界」は、それほど強調すべきことでもないと思う。

日本人のあの、原「あの世」観なるものは、人類の「あの世」観のごく原初的な形態であり、恐らくは、旧石器時代に形成されのではないか(後略)。

 ぼくの考えだと、原「あの世」は旧石器時代には遡るかもしれないけれど、少なくとも人が死を発見して以降というのがより正確になる。

 また、梅原は再生について、「個は死にますが、魂は、再び別の個に宿って生き続けるというわけです」と書いている。ここでいう「個」は、個人というほどに際立った「個」ではなく、「別の個」と言っても母系の系譜を同じくする誰かなのだから、身近な誰かというのが当たっていると思う。それは梅原が言うように遺伝子と言い換えても同じことがいえる。「神」になるというのも、精霊に近い「カミ」としたほうが「原」のイメージに適っている。梅原のいう「原あの世」は段階を設定することでより立体的に捉えることができると思える。

 

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