『日本書紀』の境界神
『日本書紀』のフナトの神の記述について挙げてみる。
1.「黄泉国、別伝(一書の七)」
雷神はみな身を起して、そのあとを追いかけて来た。逃げる途中、道のほとりに大きな桃の樹があったので、イザナギノ尊はその樹蔭に身を隠し、桃の実を取っては雷神に投げつけたから、雷神はこれを避けて逃げた。これが、桃によって鬼を避けることのもとである。その時、イザナギノ尊はその杖を投げて、
「これからこっちには、雷神も来られないだろう。」
こう言った。これを岐神(フナトノカミ)と言う。これは、もとの名を、久名戸祖神(フナトノサヘノカミ)と言う。
元の名は、フナトノサエノ神で、「境界」と「遮断」が二重化されている。
2.「「黄泉国・禊ぎ、別伝(一書の四)」
「いとしい我が妻よ、そういうことを言うのなら、私は一日千五百人ずつ生ませよう。」
こう言った。
そこでまた言うには、
「ここから先に来てはいけない。」
こう言って、手にした杖を投げた。これを岐神(フナトノカミ)と言う。(中略)また、その褌(はかま)を投げた。これを開齧神(アキグヒノカミ)と言う。
ここでも「境界」。また、下着を投げて生まれる「開齧神」も、同じ意味を持つと思えるが、ここには「攻撃」の要素も加わる。
3.「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)、別伝(一書の一)」
そこでいよいよ、下界に降るという時になって、先払いの役をつとめた神が戻って来て言うには、
「天上の道が八衢に分れたところに、一人の神がおります。その鼻の長さは指七本分、背の高さは七尺あまり、口の切れ目が照り輝き、その眼は八咫鏡(やたのかがみ)ほどにも大きく、赤々と光るのがまるで赤い酸漿(ほおずき)のようでございます。」
こう述べた。
そこでお供の神をやって、何者なのかを尋ねさせた。ところがこの神の眼光が恐ろしくて、八十万に及ぶ多勢の神々の誰もが、あえて尋ねることができなかった。そこで、特にアメノウズメに命令して言うには、
「お前は物怖じせぬ神であるから、お前が行って訊いてみよ。」
こう命じた。
そこでアメノウズメは、その胸乳を露に見せ、裳の紐を臍の下まで押し下げ、嘲笑いながら向かい合って立った。
これに対して、衢にいた神が尋ねるには、
「アメノウズメよ、どうして私に向かってそんな恰好をするのです?」
こう訊いたので、答えて、
「アマテラス大神の御子が、これからお出かけになるという道の途中に、こうして立ちはだかっているのは何者なのです? 言いなさい。」
こう言った。
衢にいた神がそれに答えるには、
「アマテラス大神の御子が、ただ今からお出かけになると聞きましたので、ここまでお迎えに参上してお待ちしているところです。私は猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です。」
そこでアメノウズメがまた尋ねて、
「お前が私よりも先に行きますか、それともお前よりも先に行きましょうか?」
こう訊いたところ、答えて、
「私が先に立って、道案内をつとめましょう。
こう言った。
サルタヒコは名が明かされるまでは、「衢の神」で「境界」の意味を担う。名を明かした後は、「案内」の機能を発揮している。「岐(フナト)」と「祖(サヘ)」と「衢(チマタ)」。
吉田敦彦はこう書いている。
道にたちはだかって通すまいとしてする、つまり天孫の降臨を妨害する者として出現しているように見えるわけですが、アメノウズメのしぐさがあって猿田彦が口を開いて、それまで邪魔しようとしていた猿田彦がそこから道案内役になった、ということではないんです。猿田彦はすでに岐神として天からの使者の案内をつとめた神ですから、天孫の支配に服する準備ができあがった。そのために、自分が大きな貢献をした国土にいよいよ天孫をお迎えするとき、まっ先に道案内をしようとして顕われた。こういうことではないかと思います。(「謎の、サルタヒコ」)
吉田は、サルタヒコの本体を「杖」と考えているので、こうした文脈になる。しかし、アメノウズメが「その胸乳を露に見せ、裳の紐を臍の下まで押し下げ」たところで、サルタヒコはアメノウズメの本体を悟り、「案内」に転じたという理解もできるし、その方が妥当に思える。
4.「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)」
その上、かつて国を平定した時に突いていた幅広い矛を、二柱の神に与えて言うには、 「私はこの矛を用いて、ついに事を為しました。天孫も、この矛を用いて国をお治めになれば、必ずや事がうまく運びますでしょう。今は私は、百に足らぬ八十の、曲りくねった道を訪ねて、黄泉国に身を隠すことにいたしましょう。
大国主の「矛」献上。「突いていた幅広い矛」という箇所から、「杖」と「矛」の同一性がうかがえる。
そこで、国生みの記述につながる。
5.、「二神の婚姻・国生み、別伝(一書の一)」
ここに二柱はの神は、天上の浮橋に立って、戈(ほこ)を下してその地を求めた。そして蒼海原を掻き回して、その戈を引き上げたところ、戈の先からしたたり落ちた潮が、固まって島となった。これに名づけておのころ島という。
この「矛」も同一だと見なせるなら、それは淡路島の島人の思考を暗示してはいないだろうか。
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