境界神・杖・矛(飯田武郷)
飯田武郷の言を丁寧に追ってみる。
イザナギが桃の実を投げて雷神を退散させる。その時にイナザミに投げる杖が、岐神(フナトノカミ)でもとの名は、クナトノサヘノカミ。「これからこっちには、雷神も来られらないだろう」(「黄泉国、別伝(一書の七)」『日本書紀』)。
千引きの岩を挟んで投げる杖は岐神。「ここから先に来てはいけない」。(「火神の誕生・黄泉国・禊ぎ・別伝(一書の四)」『日本書紀』)。
この杖は、イザナギの取り持った「矛」でもある。上古はみな矛を杖について道をば行きしなり。
イザナギが禊のときにまず投げた杖が、「禍のここに近づくなという意味」のツキタツフナドノカミ(『古事記』)。
岐神も杖を御体として霊威を幸給う神。
大国主が国譲りの際に天神の使者の神に、幅広い矛を献上する。私はこの矛を用いてことをなしたので、この矛を用いて納めれば必ずやことがうまく運ぶでしょう、と言う。(「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)」『日本書紀』)。
また別の場面では、自分の代わりに仕える者として。道路の神である岐神(クナドノカミ)を推薦する。(「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫、別伝(一書の二)」『日本書紀』
誰しも別々の事に心得めれども、委しからざるなり。
ここで、飯田の辿っているイメージの連鎖を整理してみる。
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