『縄文人の世界観』(大島直行)
大島直行は、M・エリアーデが周期的再生のシンボルとして、「月-雨(水)-豊穣-女性-蛇」という文脈を見出したのを引き、これが農耕社会を前提としたものであることから、「豊穣」を抜き、「月-水-女性(子宮)-蛇」を、縄文人の再生のシンボリズムの中核として抽出している。
ことはそう単純ではなかっただろう。現に、ぼくたちは琉球縄文期に、少なくとも「太陽-女性(子宮)-シャコ貝」を見出してきたばかりだ。だから、「狩猟採集を基盤とした序列のない社会にあっては、永遠性、つまり太陽崇拝が支配権を握ることはありません」というわけではない。
約25000年前と言われるローセルのヴィーナス像の「月-女性」からすると、月と女性の結びつきは、おそろしく古い。けれど、シンボリズム自体は交替や追加などの変遷がありえるわけだ。
ぼくたちも注目している大湯の環状列石には7200個もの大量の石が7、8キロも離れた地点から運ばれているのに対して、大島は「石そのものが卵あるいは子宮に見立てられ、シンボリズムに関与している」と書いている。
石棒と円形に広がる石は、サルタヒコの境界の意味からも、これが境界部を意味するというアプローチもできそうだ。
仲松-谷川-筒井の「青」考はここでも引かれている。大島は「縄文時代の墓が島にあることは重要で、そこには再生のシンボリズムが関与している」と見なされている。島は墓地からも解放されなければならない。
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