『日本書紀通釈』(巻之五p.231~p.236、飯田武郷)
飯田武郷が、1899(明治32)年に仕上げた『日本書紀通釈』での「杖」と「矛」の記述を追ってみる。
『日本書紀』で、桃の木を見つけてその実を投げて雷たちをおいやる。そこで、杖を投げ捨てて、「ここからは雷は来れない」といい、これを「岐神(フナトノカミ)」と言う。
また、千引の岩を介した「コトドワタシの後で、イザナギが杖を投げて「ここから先へは来てはいけない」というのは、千引の岩が坂道を塞いだのと同じことを言っている。
さらにイザナギは禊の際に、
そこでまず手にした杖を投げ捨てたが、この杖から生まれた神の名は、禍のここに近づくなという意味の衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)。
これも同じである。
で、桃の木のところで飯田は、この杖はイザナギが取り持っていた矛であると指摘している。「上古は矛を杖に衝きて道をば行きしなり」と。岐神は杖を御体として霊威を発揮する神である。
大国主が「広矛」を献上している。この矛をついて国を平定したから、これを使えば必ずうまくいくだろう、と。また大国主(オホアムナチノ神)が、国譲りの際、「道路の神である岐神(クナドノカミ)を自分の代わりに仕える者として勧める。そこでクナドの神は、フツヌシノ神、タカミムスビノ神の案内をして各地を巡り歩き、命令に従わない者は殺し、帰順する者には褒美をやってj平定した。
飯田はここで、これらは「誰しも別々のことに心得るだろうけれど、そうではない」という内容のことを書いている。
吉田敦彦は「世界の神話とサルタヒコ」のなかで、
そうすると、本体がもともと杖であるフナトの神と、この矛とは-矛もオホクニヌシが杖のようについたというのですから、実は同じものではないか。こういうことを『日本書紀通釈』という非常に権威のある『日本書紀』の注釈書を書きました飯田武郷という人なども言っているわけです。
と書いているが、吉田の立論自体は、まるまる飯田の論旨を追っていることが分かる。詳細な推論をしているのは、吉田ではなく飯田の方なのだ。
衢の神、塞(サヘ)ノ神。フナトの神というのは、「物を衝きたてて、ここから先には来るなという意味で、それに「岐」の字を当てているのは、岐路にあって守る意味から来ている。この神が嚮導するのは深い理由があることも飯田は説明している。
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