貝生神話と浜下り
後藤明は、竹中誕生説話の類話には、海や川から流れてきた泡や卵のなかから誕生する話もあるとして、植物中誕生説話、卵生神話、水辺の誕生説話は「密接に関連しているようにも思われる」としている。これには、土中誕生神話との分布も重なる。
つまり、これらは他界を持った段階での神話だということだ。
土の穴から出る
竹の中から出る
貝を割って出る
卵から生まれる
これらが位相同型と見なされる。
ここで琉球弧のシャコ貝トーテムに注目すると、シャコ貝は脱皮はしないけれど、母胎から生まれるのではないスデルという形態を持つ。したがって、あの世を持つと同時に再生も考えられていた可能性を示すものだ。
メキシコのユカタン半島にある古代マヤ文明の図像学では、貝と誕生の関係が、雨や成長の関係よりいっそうはっきりと示されている。貝が姿を見せているところでは、かならずそこに神や人間がいるか、それともその貝から動物のような生き物が姿を現わしている。マヤ人は、とくに大地の神マムと巻貝とを結びつけ、この神マムと巻貝とを結びつけ、この神は、背中に貝を一個ぶらさげているか、貝から出現しているように描かれている。(ジェイン・F・セイファー『海からの贈りもの「貝」と人間―人類学からの視点』)。
貝の首飾りは、貝から生まれた姿の後継というわけだ。
ここでシャコ貝を海辺からの誕生と結びつけてみる。すると視野に入るのは、浜下りだ。
浜下りの起源譚は、山に住む蛇男から身ごもらされた女が浜で蛇を流産するという筋を辿る。これはつまり、海辺の誕生を思考したとき、蛇は始祖としての地位を失うことを意味している。同時に、浜下りの起源を生と死の移行の段階に置いてよいことを示しているのかもしれない。
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