『日本人の死生観―民族の心のあり方をさぐる』(五来重)
山中他界の古層を探った五来重だけれど、その死生観は穢れ先験の観点だった。
風葬がよく見られたことについて、
日本人が肉体を厭うことのはなはだしい民族で、その肉体を早く消滅させて、肉体が消滅すれば霊魂は浄化する、きたない腐敗していく肉体が存在すると霊魂は浄化されない、とかんがえていたからで、早く浄化させるためには、水に流してしまうか、あるいは風化させてしまうかの、二つの手段をとっていたのです。
これはことの起こりから言えばそうではなく、肉体に意味を認めたから、風葬は持続してきたのだ。
「熊野詣での山道では死んだ人の霊に会うことができる」。
熊野はそういうところであり、また同時に烏をもって神聖なる鳥とする理由も、熊野に古墳がほとんど発見されていないという事実も、ここが風葬の卓越したところ、あるいは水葬の卓越したところであったということが考えられるわけです。
これは熊野が地上の他界を持ったことを意味している。
中国の蓬莱というべきものにあたるものが、理想郷としても、あるいは死者が行ったり来たりするような場所としても、海上の他界というものができてくる。そのもとになるのがやはり水葬だろうと思います。
海上他界のもとは水葬とは限らない。風葬も浅く埋める埋葬も海上他界と結びつく。
「具体的んば島をもって他界とする考え方も」ある。
伊予のほうでは宮島、厳島をもって他界とする考えがあって、伊予の北半分では人が死んだら厳島へ行くという。厳島神社ではまもとに迷惑だろうと思います。厳島といわず弥山(みせん)ともいっていますが、厳島の頂上が弥山で、弥山へ行くという。
この記述の通りなら、弥山は、遠隔化された他界に該当している。厳島は標高530mほどあるから、それに該当する条件は持っている。また、厳島の人は迷惑ではない。それは対岸の人々からは神聖視されたことを意味するのだから。
「黄泉国という場合には、地下の他界をさしている」。「もちろんそれはまっ暗で」、「しかもそれはひじょうに穢れた国である」。
地下だからまっくらということにはならない。穢れも、穢れていったのであって、最初からそうなのではない。
「霊場こそもっとも発生的な第二次の詣墓にほかならない」。
これはその通りだと思う。しかし、
要するに死者の穢れという霊魂執念から、死体埋葬または荼毘を行なった第一次墓地も穢れていると考えられ、この霊魂をきよめるために清浄なる聖地に第二次墓地をもとめ、霊魂の禊を行なったことが両墓制の起源といってよいであろう。
理由は穢れではない。「第一次墓地」近辺に他界への入口があり、別の場所に他界があるということが詣り墓を要請するということが、両墓制を生む根拠になったと考えられる。
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