島人の精神の位相メモ
縄文時代が終わり、グスク時代に入ると、島人はサンゴ礁にめっきり関わらなくなる。サンゴ礁に背を向けるように立ち去る。それこそ、立ち去らされたように。かわって森林伐採が始まり穀物農耕が始まる。歴史的にはそこで鉄や暦を使うようになったとされている。いわば、母なる自然としてのサンゴ礁は、開墾されたのではなく、放っておかれたのだ。
母なる自然は開墾されることによって、イメージへと転化されるのだとしたら、島人にとってはそれはまだ起きていないのではないだろうか。部分的には港湾化され、赤土の流出によってサンゴ礁は部分化されているとはいえ、サンゴのj復元はいまも根気よく続けられていることであり、葦徳の港湾クルーズ計画も断念されたばかりだ。
戻せば、母なる自然は開墾によって失われる。そこから本土ではスサノオによって王権は生まれてくるのだし、イメージへ転化せざるえなかったから、妣の国へ行きたいと言ってスサノオは泣き叫ぶことになる。これに照らせば、島人はまだスサノオの泣き叫びを経験していない位置にいるのではないだろうか。
経済的な自立や、国家的な独立が謳われるときに、決まって「しっかりする」ことが唱えられる。「なんくるないさ」ではいけない、しっかりしなくてはならない、というように。これは個人的には可能なことし、個々それぞれはそれぞれにそれをなしているとは言える。しかし、この文脈は決して王を誕生させよという文脈にはならない。
言い換えれば、島人のなかから「地元への恩返し」を旨とする政治家は生まれてきただろうか。徳田虎雄はそうだったかもしれない。そういう意味では、徳之島はスサノオを生む土壌を持っているかもしれない。けれど、徳田虎雄にしても、地元への利益誘導を主眼とする政治家ではなかった。もちろん、島嶼環境は田中角栄のような絵に描いたそれができるわけではないという自然条件もある。けれど、「地元への恩返し」というよりは、島を出るタイプの政治家は、むしろ本土人になることが政治家になることの意味だったのではないだろうか。
ことの是非を言いたいのではなく、島人はあるいはぼくたちは依然として、スサノオ以前のところにいるのではないか、ということだ。だから、スサノオを通過せよ、というのではなく、だからこうした精神の位相差を抱えたまま、ことに対していることを自覚しなければならないと思える。こうしたところに言語化が待たれるものが潜んでいる気がする。実感の伴わないところで、他人の物語を自分の物語として読むことにずっと晒されている気がする。
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