「祟り-祀り」、「穢れ-祓い」以前
金菱清は、池上良正を引く形で、「生者と死者の関係の綱引き」について、整理している。
仏教インパクト以前
「祟り-祀り」 祟るから祀る
「穢れ-祓い」 穢れだから祓う
仏教インパクト以後
「供養-調伏」
「供養-調伏」というのは、「仏教的功徳を死者に廻施して救済を擁護する供養と、仏法の力によって死者を善導・教化して鎮める調伏である」。どちらにしても死者は恐ろしいものだということになっている。
金菱はこれに対して、石巻の幽霊話や閖上の慰霊碑は、
不安定かつ両義的な生/死の中身を縮減せずに、それをむしろ豊富化し、そのままでよいという肯定的なものとして当事者が受け止めていることは、従来の宗教観からは説明がつかないように思われる。
としている。
琉球弧の他界観に照らすと、従来の宗教観のなかにもこれを含めることはできると思えてくる。それは、仏教インパクト以前の在来システムのなかに、「祟り-祀り」、「穢れ-祓い」以前を加えることだ。
これは、うまい言葉が見つからないが、「助力-感謝」とも言うべきものだ。死者は生者とともにあって助けてくれる。だから、感謝をする、というようなことだ。美辞麗句に仕立てたいわけではなく、縄文の「あの世」のあり方は、それを教えてくる気がする。「ニライカナイの原像」では、そのことに触れたいと思っている。
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