シャコ貝と蛇
シャコ貝を太陽神と見たということは何を意味するだろう。
オヒデリ様は冬の季節に山から里に下りてきて、出雲から戻ったイカヅチ神と結婚する。その結婚によって、樹木や動物の生命の種を授かった女神は、身重な体をかかえて山にお戻りになる。ふたたび山にこもったオヒデリ様は、冬の季節を越え、春の時節の到来を待って、森じゅうに生命を放つ。
フユ(内部にこもって増殖する意味の古代語)からハル(生命が膨らんで出てくるという古代語)へ。阿連の村に伝えられているこの太陽神の祭には、縄文文化と倭人的海人文化に共通の基層である、旧石器以来の狩猟文化の思想が、がっしりと組み込まれている。旧石器文化の生命力は、しぶとい。(中沢新一「アースダイバー・対馬神道」)
シャコ貝は、子宮であり太陽神であるとするなら、ここでいう「オヒデリ様」に該当している。しかし、シャコ貝は雷とは結婚しない。当時が母系社会であったとしたら、女性は男性なしで子を孕むのだから、神々が結婚する必要はない。
それなら、雷はどうしていたのだろうか。いや、その前に琉球弧でも雷は蛇だろうか。
奄美大島では蛇と雷との同一性がもっと端的に表現されている。雷のことを奄美大島の瀬戸内町では、ティングロジャ(天の大蛇)とか、単にグロジャ(大蛇)と呼んでいる、と登山修は報告している(谷川健一『不死と再生の民俗』)。
琉球弧でも雷は蛇だ。島の人は、ハブに噛まれるのを「打たれる」と表現する。また、蛇は虹でもあった。
すると、スク(シュク)寄りの前には雷が鳴る、ということは、雷は、サンゴ礁の霊力を喚起させていたわけだ。
阿連を「対馬神道のエルサレム」と書いた鈴木棠三は、対馬神道と琉球神道との比較へ注意を喚起している。そして対馬島内に多い「茂地」は、「琉球のオタケに相当するものの如く思う」と指摘している(『対馬の神道』)。
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