シャコ貝と津波
太陽が男神になると、この父の存在は希薄になる。
太陽も西の海に沈んでいく。そのとき太陽と海は、水平線で一つに溶け合う。倭人にとって、太陽神と海神はそのようにして、もともとは一体の神である。(中沢新一「アースダイバー」対馬神道11)
これは強い示唆を与える。シャコ貝が太陽神であり、津波は海神であるなら、シャコ貝も津波と関係があると考えられていた可能性を持つ。
実際的には、そのつながりはある。
八重山気象台の構内にも直径およそ三米くらいの、球形の典型的なB型の石があった。筆者は第八代石垣島測候所帳であられた瀬名波長宜翁から、はじめてこの石が津波によって打ち上げられたものであることを教えていただき、津波の石に興味をもつキッカケとなった。同翁の話によると、もとこの石には、「ヒメジャコ」、すなわち八重山名ギーラのからもついていたという。(牧野清著『明和の大津波』)
津波の後に見い出されるもののひとつにシャコ貝がある。多良間島のぶぜなー神話で、シャコ貝が人間に先立つものとして現われるのは、「洪水」と無関係ではないのだ。シャコ貝は津波をもたらさない。けれど、津波はシャコ貝をもたらす。
ということは、シャコ貝に猿がはさまれる神話、民話は津波の変形と見なすことができる。
中沢は書いている。
天と海は漢字では二つに書き分けられるが、発音すれば両方とも「あま」で、同じ音である。「天高きところ」と「海のはるか彼方」とは、どうやら神話の思考の中では、同じ意味をもっていたらしい。
ぼくたちは、「天」も「海の彼方」も生み出されていない段階のことを考えている。そのときには、太陽は海をもたらさないが、海は太陽をもたらす、つまり、海は太陽の母体と考えられていたことになる。
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