「猿田彦神の意義を発見するまで」(伊波普猷)
伊波普猷の「猿田彦神の意義を発見するまで」(1926)は、折口信夫に宛てた文章として発表されている。
伊波は、琉球語の「サダル(先きになる)」という意味から、「猿田彦」語源に接近している。猿田彦は、「先駆けの神」または「先導の神」があるが、それは琉球語の「サダル」と同じであるに違いない。
古くはこの神のことを単にさだひこのかみ(先駆の神)といったに相違ありません。併し猿田という字を当てはめたところから見ると、当時さるだひこのかみともいったでしょう。このさるだは措置法即ち隣音交換であらたがあたらとなりあらぶがあぶるとなったように、さだるがそうなったのではありますまいか。
そして「さだるひこのさだるがさるだとなって、それが勢力を得ていた」と解している。
どうもどこかちぐはぐな印象を受けるのは、折口信夫が琉球語の特徴に逆語序を挙げたように、琉球語でサルダと言って、猿田彦の側でサダルとしているなら順当な気がするのだが、それがあべこべの関係になっていることだ。
奥里将建は、この言葉のもとに琉球語のサダユンを置いているが(「琉球人の見た古事記と万葉」1926)、そうだとしたら語根には「サダ」を置けばいいように思える。佐田大神のように。
サダは、サチ、サキへの転訛もありうるので、ここでもスクと同様、「サ行音+カ行音」の組み合わせに辿り着く。この意味ではサルタヒコとは、地の精霊の顕現の位相を持つ。
サルタヒコとは、
・海神である蛇と太陽神であるシャコ貝の子神
・「先駆けの神」というよりは、「境界神」であり「神の使い」
・それは、トーテムの零落の位相を示す
・その名は、地の霊力の顕現を意味する
サダルに「先に行く」という意味があるのは、「神の使い」の位相のひとつの現われと見なせる。それと同時に、トーテムの零落の形態のひとつに、地霊的な存在へ解消されるのが示唆されているように見える。それはトーテムの零落の最終形態であるかもしれない。
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コメント
この神が『出雲国風土記』の「佐太大神」と同義だとすると、やはり琉球語の「サタ」は、その意味を温存しているかもしれません。
陸上だと道案内なんでしょうけど、海上交通に当てはめれば灯台役とも解釈できますね。これは「サタ」の地名として残っていると考えます。
例えば、大隅半島南端の「佐多岬」、愛媛県「佐田岬」など、重要な分岐点に位置する岬などもその名残りじゃないでしょうか。
特に、四国西端の「佐田岬半島」は、猿田彦の "巨大な鼻" を連想しますから、関門海峡か畿内方向かの岐路に立ったニニギノミコト勢力が、南予や瀬戸内海西部の海人達の指導を受けたのでしょう。
投稿: 琉球松 | 2016/07/30 09:31
琉球松さん
そうそう、そうなんです。ぼくは具体的な足取りまで視野が及びませんが、南からみるとサルタヒコの素性がよくわかってくる気がします。
投稿: 喜山 | 2016/07/30 09:48