« 『日本人の死生観―民族の心のあり方をさぐる』(五来重) | トップページ | 「漲水御嶽の伝承」(末吉亜梨沙) »

2016/07/10

浜下りの段階

 末吉亜梨沙は「キンマモンと沖縄の蛇聟入の関係性は深い」と考察している(「琉球王権と神話の歴史地理学的研究」)。これはとても面白い。

キンマモンが出現するとされたのは 3月・6月・9月・12 月であるとされている。一方で、浜下り由来の話を始め、沖縄の蛇聟入のなかで胎内に宿っている子どもを流産させる話で登場する儀礼の浜下りは 3 月 3 日に行なわれており、キンマモンの出現する月である 3 月と被っているのがわかる。そしてキンマモンは聞得大君と関連して出現していることから神女との関係性は密接していると考えることが出来、蛇聟入で蛇の棲家とされている場所も神女との関連性をみることができる。
 また、キンマモンというのは海底に住んでいると『琉球神道記』で記載されていた。この海底というのはニライカナイのことであろう。海底の宮として連想されるのは、龍宮である。その龍宮に住んでいるということからキンマモンは龍神と考えることができる。

 本当は、神の子として活躍するはずの蛇の子が、流産を余儀なくされるのは、蛇の零落を意味しているが、同時に蛇が動物であることを止めて抽象的な神へと変容したことを意味している。琉球弧においても、グレート・スピリットは蛇が担っているようだ。

 末吉の言う「キンマモンと沖縄の蛇聟入の関係性は深い」を言い換えてみると、浜下りは他界の遠隔化と関係性が深いのだ。

 ところでここでいう浜下りとは、

 儀礼として記載されている浜下りとは旧暦三月三日に行なう沖縄の年中行事の一つで、三月三日に女性のみだけではなく家族連れで潮干狩りをすることによって、不浄を祓って健康を願う行事である。しかし、元来の起源説話では女性が浜におりて身を清めるというものであった。

 ということで、生れたばかりの子の足を海に浸すという行為を含んでいない。子は浜辺で拾ったということも語られるわけではない。だから、赤子の儀礼としての浜下りは別に考えられなければならない。むしろ、神との子として成長する話のなかにこの儀礼の意味は含まれている。むしろ高いの遠隔化にもかかわらず、赤子の儀礼は残ったと言うべきかもしれない。

 シャコ貝は太陽であり子宮であり、サンゴ礁は胞衣である。すると、サンゴ礁を破って子は生まれる。そういう世界観に子は海からの授かり物という認識はぴたりと一致している。


|

« 『日本人の死生観―民族の心のあり方をさぐる』(五来重) | トップページ | 「漲水御嶽の伝承」(末吉亜梨沙) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/63379429

この記事へのトラックバック一覧です: 浜下りの段階:

« 『日本人の死生観―民族の心のあり方をさぐる』(五来重) | トップページ | 「漲水御嶽の伝承」(末吉亜梨沙) »