「ブーは一番神様に近い植物」(「与那国島のものの見方・考え方」)
1954年の与那国島生まれの方が、ブーとカラムシは違うと言っている。「茎の色、葉の色、触った時の葉の感触も違う。そもそも糸の取り方が違う」と。
ブーは、茎の皮をはいだら水に浸すだけで、竹や貝をつかった《イン》といいう道具を使えば繊維と肉質を分けることができるようになるけれど、カラムシは、茎からはいだ皮を蒸すのね。
「ブーは一番神様に近い植物」だという。
織染める原料のアイにも物の原料のブーにも、神様がいらっしゃる。染物や織物の材料にアイやブーを取る時、いきなり行ったらアイやブーにいらっしゃる神様が驚くの。なんらかの合図をして寝ている神様を起こしてから近づいていって、取らせてもらわないといけない。それは、ボンと石を投げてもいいし、オーイと言っても、咳払いしても、歌をうたってもいいの。
ブー以外にも親密な関係を結んだ植物があるのが分かる。アイも食用ではない。ただ、トウガラシにも神様はいると話している。
ブーは、いちばん神に近い植物ね。だから、落とした魂を戻すタマチスイ(沖縄のマブイグミ)をするときに、魂を人間の体に縛りつけるのに、ブーの繊維を使うでしょ。手首、足首、首にも巻いて魂が逃げ出さないようにするわけ。最近では、足首には巻かなくなっている。私がタマチスイされた時は、お腹にまでブーを巻かれたわ。
この聞き取りは素晴らしい。ブーをトーテムやそれに近い関係を結んだのは多良間島だけではないことが分かるし、何よりこの方の肉感的な交流の仕方がかつてのことを彷彿とさせてくれる。1950年代生まれだというのに、こういうことがありえたのかと驚かされる。
ブーのことだけではない。胞衣は、与那国では「アングヌムヌ」(グは鼻音)という。
《アング》というのは、相手をすることなの。旅から来た人の相手をすることとか、他所から来た人とこっちの人が性的な関係に入る、こういうことも含めてそういうのよ。
与論でいえば、さしずめアグヌムヌだろう。旅人への性的歓待は、琉球弧ではアグという言葉を使って呼ばれていたのかもしれない。与那国では、胎盤も「アングヌムヌ」という。
だから、《アングぬムヌ》というと、「(赤ん坊の)相手をするもの」、「お相手さん」というような意味になるわね。お母さんのお腹の中で、赤ん坊が一番親しく相手をしてもらった方ということでしょう。胎盤というのは、ずうっと、自分をつつんで育ててくれて、しかも自分と一緒に育ってきた方でしょ。その相手と別れて、子どもは生まれてくる。そして、寒かったり、暑かったり、ひもじかったりする、厳しい外の世界にいて、時々には、あの安心できて気持ちがよかった時のこと、いつでも側にしてくれた相手のことを思い出すんじゃないかしら。
こで胞衣埋めのときの「笑い」の意味が分かってくる。やはり生児が「あの世」に連れ窓されないための分離を図るのだ。
「胞衣笑い」は、「お腹の中にいたころ自分の対になっていたもの(胎盤)を思い出して笑っている」と解されている。
彼女は、しかし、そういう育てられ方をされてはいる。父親や叔父が、「この子をいつディミミと合わせようか」と相談し、1才になる前にと、大人の目が届くところでそうしている。ディミミとは、「地の耳」でミミズのことだ。「屋敷の中で《ディミミ》を探して、洗面器に入れて畳の上で毎日のように対面させたんだって」。そして、彼女はディミミと話せるようになったという。
ディミミは地下のことを教えてくれる。
《ニラ》つまり地面の中の世界のことをいつでも耳を澄ませていて、異変があったら人間に教えてくれる大切な役目をしているから。
そして父親の畑仕事の際、「ミミズに聞いたことを教えるのが」彼女の役割になったという。「それがよく当たるので、親父は幼い私をあてにするようになっていった」。
《ディミミ》は、季節の変わり目に年に2回、春と秋に食べるものだった。食物でもあるけれど、半分はお祈りの世界よ。《ディミミ》をいただくことで、《ニラガナチ》にあやからせてください、という意味なの。《ニラガナチ》は《ニラ》に《カナチ》がついたもので、《ニラ》つまり地底世界に対する尊称ね、天は《ティンガナチ》、海は《トゥーガナチ》よ。
素晴らしい語り部で出会えたものだ。彼女の話しを絵本にすればいいのにと思う。
安渓貴子・安渓遊地『奄美沖縄 環境史資料集成』
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント