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2016/07/08

太陽とシャコ貝

 大型のスクはキラハニと呼ばれている。しかし、谷川健一は宮城島で「テダハニ」とも聞き取りしているから、このキラハニはテダハニと同一であり、太陽を意味している。

 ところで、シャコ貝をアジケーと呼ぶのは、十字の意味を担うようになってからのものだとすれば、その古名に当たるものがあるはずだが、石垣島でギーラと呼ばれるのはその候補になるだろう。ところで、ギーラもティダなのではなだろうか。

 ギーラは具体的にはヒメジャコのことだが、ヒメジャコの口のまわりの怪しさは太陽と呼ぶにふさわしい。

 ぼくたちは、琉球弧の野生の思考で、シャコ貝は子宮であり、サンゴ礁は胞衣だとみなされていたと考えている。すると、シャコ貝は太陽の女神だということになる。ふつう、貝は月と女性に結びつくので、この連合は不自然にも見える。シャコ貝を太陽と結びつけていいだろうか。

 オヒデリ様という太陽神は、山と森に住む動物たちの、守護神であり母でもある。彼女は古代ギリシャではアルテミス、古代ローマでディアナ(ダイアナ)と呼ばれていた、樹木と動物と自然の多産性を守護する女神の一類である。この女神の来歴は、おそろしく古い。ヨーロッパでも、旧石器時代の狩猟的文化のなかで、この女神の原型がすでに活躍を見せている。
 オヒデリ様は冬の季節に山から里に下りてきて、出雲から戻ったイカズチ神と結婚する。その結婚によって、樹木や動物の生命の種を授かった女神は、身重な体をかかえて山にお戻りになる。ふたたび山にこもったオヒデリ様は、冬の季節を迎え、春の時節の到来を待って、森じゅうに生命を放つ。(中沢新一「対馬神道」14)

 ここでいうオヒデリ様にシャコ貝が対応づけられれば、ありえることになるかもしれない。中沢のいう山と森をサンゴ礁に置き換えれば、シャコ貝の果たす役割はぴったりだともいえる。ただ、貝と蛇の結婚を語る伝承は琉球弧にはないと思える。

 しかし、この段階では、女性はひとりで子供を産むと考えられていたとすれば、蛇の存在は要らないことになる。

 シャコ貝は、斧としても用いられ、鍋でもあった。モノを生み出す力、多産性はシャコ貝に託されていたことは確かだと思える。

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