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2016/07/13

「ニライカナイの原像」(「珊瑚礁の思考カフェ」第4回)

 「珊瑚礁の思考カフェ」第4回は、「あの世」をテーマにします。「ニライカナイの原像」。
 (毎日の更新は、この記事の下で行っています)。

 柳田国男が山中他界を、折口信夫が海の彼方を強調し、吉本隆明が洞窟の向こうを付加した他界観。それを踏まえながら、他界の発生と展開のなかで、彼らの他界観を位置づけ直してみたいと思う。

 日本人の他界観について、谷川健一は書いている。

 古代日本人が他界をあらわすのに使用した「常世」「根の国」「本つ国」「妣の国」「黄泉の国」などの言葉を吟味してみると、いずれもが、日本人の死後の世界としての他界と、祖先の渡来の「原郷」(「本つ国」)としての他界と、二つのイメージを剥離しがたくもっている。日本人の民族体験の総和は、いつしか集合的無意識として日本人のなかに流れ、沈殿している。それを喚起するとなれば、自己をさかのぼってはるかな祖霊の観念にたどりつく。しかし日本人の他界は、たんに死者たちの霊の住む海彼の国というだけでは充分ではない。この二つが分かちがたく融着したものである。つまり時間としての他界と空間としての他界とがみごとにまじりあった世界である。こうした他界観をもつ民族が日本人の他に存在するか私は知らない。諸民族の世界観の中でも日本人の世界観が特異な位相をもっているのは、この二重の他界観に胚胎するところが大きい。(『柳田国男の民俗学』)

 柳田國男が常民の感性を重視したのとは別の意味でこれは日本を特異なものにしてしまっているが、そうする必要はない。日本人の他界観も琉球弧のそれも、普遍性のなかの一類型として位置づけることができると思う。

 複雑に見えているのは、縄文期と弥生期とでは人々の認識しているワールド・モデル(世界模型)が異なることに起因している。つまり、「あの世」の捉え方がまったく違っているのだ。そして、縄文期のワールド・モデルは神話世界と分かちがたくつながっているから、弥生期のワールド・モデルからみれば、以前の姿が分からなかうなってしまう。

 しかし、その痕跡は残る。だから、ぼくたちは残された手がかりから、縄文期の他界の場所や世界観を復元してみることができるのだと思う。2時間のなかでどこまでそれを言えるかは分からないが、試みます。現在のニライカナイから縄文期のニライカナイへ、そしてその原像へ。 


8月10日[水] 19:00~21:00 [18:30開場] 参加費\1,500

場所:学び舎遊人 東京都千代田区西神田2-4-1 (財)東方学会新館2F

水道橋駅から徒歩9分
九段下駅から徒歩8分
神保町駅から徒歩6分

予約先:tel:03-3239-1908 
email: manabiya@yujinplannning.com

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