「赤子塚の話」
柳田國男の「境の神に子を祷る風習」。
幸いにしてこうして御一緒におもむろに考えている内に、児捨馬場が児拾馬場であったごとく、また子売地蔵がやはり子買いであったごとく、死んだ児の行く処とのみ認められた塞河原が、子なき者子を求め、弱い子を丈夫な子と引き換え、あるいは世に出ようとしてなお彷徨う者に、安々と産声を揚げしめるために、数百千年の間凡人の父母が、来ては祷った道祖神の祭場と、根元一つであることがほぼ明白になった。つまり我々は皆、形を母の胎に仮ると同時に、魂を里の淋しい石原から得たのである。そういう風にかつて信じていたのである。(「赤子塚の話」『柳田國男全集7』)
この文章は美しい。明白になったことをもっと言えば、「賽河原」が、あの世との境界であったことを意味している。そしてその当時jは、「里の淋しい石原」ではなく、聖なる場だった。
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