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2016/07/22

「ニライカナイの原像」3

 8月10日の「ニライカナイの原像」に来てくれる人のメリットを考えてみるに、死者やあの世に対するもともとの感じ方、考え方が分かるというこかなと思います。「祟る」とか「穢れ」とかではない、それ以前の観方。そして聞いたら、自分の故郷の縄文の「あの世」を探索してみたくなるのではないかと予想します。

 そしてそれはいまとても求められていることなんじゃないかと思ったりもします。いま、いろんな民俗学的な記述を読むときに、ここは縄文のあの世を示唆していると思えたら、備忘するようにしています。記述者はもちろんそんな問題意識で書いていないのですが、縄文の「あの世」の痕跡は伝承や地名に残されているので、当たりをつけることができます。そこには、穢れや祟りの観念がかぶさっていたり、人間ではない動物の精霊が祀られていたり、それらが複合して分かりにくくはなっているものの、確かな手応えを感じさせる場所もあります。

 代表的なのは、五島列島の福江島にあるとされている「みみらくの島」がそうです。「みみらくの島」にしても伝説化されているので、福江島のどこかということははっきりしていないのですが、そこにひとつの解答というか、仮説を提示することはできるので、そのことはお話しします。

 自分でも理由がよく分からないけれど、そういう縄文の「あの世」探究に夢中になっています。でもそれは単にぼくが欲しているというだけではないんじゃないだろうか。

 そう思うのは、『震災の霊性学』などで書かれている幽霊の話や、教訓型や追悼型ではない、記憶型と呼ばれる新しい慰霊碑のあり方が、縄文の「あの世」のあり方と相似しているからです。いまのぼくたちは、死者やあの世を祟りや穢れと見なしたり、供養するといった形を採ったりして、縄文期からははるかに遠ざかっているわけですが、それでも心の層としては縄文期の感じ方を色濃く持っている。だから、震災のような思いがけない死に際しては、そうした心の層が噴出してくるのではないかと考えたりしています。むしろそれは、かつてあった過去ではなくて、未来の感じ方としてぼくたちがふたたび自分のものにしていいものなのかもしれません。そういうことをお伝えできればと思っています。


8月10日[水] 19:00~21:00 [18:30開場] 参加費\1,500

場所:学び舎遊人
東京都千代田区西神田2-4-1
(財)東方学会新館2F

予約先:
tel:03-3239-1908 
email:
manabiya@yujinplannning.com

 
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