「アイヌの黥」(金田一京助)
金田一京助は「アイヌの黥」で本質的なことを書いている。
黥の元は、「単なる真似や、単なる装飾ではなくして、少なくとも呪的な意味を持つものだったというという所までは遡れると思う」。
女童が女になるころからするものであるという所に意を止めて、特に口元の黥が最も重視されることを再び思い浮かべて、アイヌに於ける婦人というものを考えて見ると、彼女たちはもとは皆巫であって、神が人間に憑るのは必ず婦女に限り、婦女は神の言葉を宣べて、部落の大事を、決定的に支配したものであり、えらい婦女ほど、巫力がすぐれ、巫力のすぐれた女ほど、巨酋の好配偶として資格づけられていたのである。而も、子供は(日本などでは童に遡ることなどもあったが)、一切神事にあづからない。女の子が、女になると共に巫力が備わるものと考えられていたのであった。
途中とちゅうの言葉使いに躓かなければ、とても的確なのではないだろうか。琉球弧に即せば、針突きは、「をなり神」の印だったのだ。
金田一のこの考察は、1932(昭和7)年のものだ(「ドルメン」第1巻第5号)。誰かこれを参照して、琉球弧の針突きを考察した人はいなかったのだろうか。
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