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2016/06/27

『沖縄自立の経済学』(屋嘉宗彦)

 たくさんなされている経済学の議論はさておき、ここでは姿勢のことだけ触れてみたい。

 どのような姿勢をとるべきかの選択肢の1つは、自立は無理であるから現状を受け入れ、「なんくるないさ」(なるようになるさ)とう姿勢をとることであり、もう1つは、無理かもしれないが自立(「どぅーあがち」)に向けて努力する(「ちばいん」、頑張る)という姿勢である。
 前者は、よく言えば、沖縄的とも言われることがあるが、流れに逆らわない形でおおらか、かつしたたかに生きる姿勢だと言えるかもしれない。しかし、悪く言えば、長いものに巻かれろという自主性のない事大主義とも見られ、沖縄外の他者から「うしぇーらりーん」、つまり「軽蔑を招く」姿勢でもある。それだけでなく、これは日本への依存を消極的にであれ容認することになるので、自立・独立を考える立場からは容認できない態度である。本書は、独立を射程に入れて沖縄経済を考えようとする立場なので、「なんくるないさ」という姿勢を除外して、後者を選択する。

 ぼくだったらここは、「なんくるないさ」の姿勢を認めつつ、「ちばいん」という人を増やすという考えになると思う。それが島民性にも合っていると。

 「ちばいん」人口を増やすには、島に戻ってあるいは戻れなくても島のために動けるような、地場のローカル・小規模産業を育成することが大切になる。その方策は本書でも説かれている通りだと思う。地場産業の育ちとともに、官公が偉い、知識人と大衆の図式といった「事大主義」も解消されているくことになる。

 本書は、ここ数年文字なき時代の夢の時間に漂っているので、ひさしぶりに現実世界に引き戻してくれた。

『沖縄自立の経済学』

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