飛島と御積島
宮本常一による飛島。飛島は酒田からちょうど四十キロ。一番高いところでも六十九メートルしかない。周囲は海蝕崖。
島の西側には御積(おしゃく)という岩山ばかりの島があり、飛島の守護神としてこの島がまつられているが、その島以外はただ広々とした海原で、その水はシベリアまでつづいている。
その島の西南端には賽の河原がある。おびただしく石が積みあげてある。もとはここに人を葬ったのであろう。そして、人の魂はここからあの世へ行くと信じたものであろう。賽の河原の沖合に御積島はある。
死者は、御積島という「あの世」へ行ったのだ。賽の河原は人が葬られた場所かもしれないが、葬地は別にあってもいい。ポイントは、賽の河原が、あの世への入口と見なされたことだと思う。
賽の河原は、島の西の端れであった。死んだ人はみな行くと謂う。何だか知らぬが、行く事は確かだと、誰も彼も云うている。近くの山で草など刈っているといい聲(こゑ)で唄を歌いながら、脇の徑を河原の方へ通るのを聞くそうである。そんな時は、屹度村で誰か死んだという。(早川孝太郎『羽後飛島図誌』)
また、長井政太郎は、飛島の物忌みのなかにこんなものを挙げている(『飛島誌』)。
・蟹は金比羅様が乗っているので食わなかった。
・鳥海登山者は女の炊いた飯は食わない。
・御積島に女が入ってはならない。
・鯨は福の神たるエベス様の化身であるから危害を加えてはならない(後略)。
「御積島に女が入ってはならない」というのは、御積島が「あの世」だった段階まで遡る禁制だったのかもしれない。また、「蟹」がトーテムだったとしたら、地上の他界を持つことはありえるから、賽の河原が葬地であっても不思議はないことになる。
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