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2016/06/22

『宗像沖ノ島』

 大島の最高峰は、御岳(224m)で、その東麓の海岸近くの丘陵上に中津宮が鎮座している。海浜近い断崖の上に、沖津宮遥拝所がある。天気の良い日には、海上はるかに沖ノ島を仰ぐことができる。

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 現在、沖ノ島に参拝する場合は、まず中津宮に詣で、大島の船で沖ノ島に向かうのが慣例となっている。これは、大島の人々の大部分は沖ノ島周辺に出漁し、沖ノ島に親しみを尊崇をもっているからであり、沖ノ島の豪華な祭祀遺物が今日まで守られてきたのは、大島の漁民によるところが多いのである。(『宗像沖ノ島』第三次沖ノ島学術調査隊、1979)。
 縄文期。「魚や貝類、海鳥やアシカの骨などが出土しているが、シカ・イノシシの骨は確認されていない。沖ノ島の縄文人は夏季の一時的な居住であり、冬はこの島にまったく閉じこめられるほかなかったであろう。
 沖ノ島の祭祀遺跡は、古墳時代に始まっている。ほぼ四世紀の後半よりあらわれ、九世紀初頭には大規模な祭祀は終わっているといってよい。
玄界灘に浮かぶ沖ノ島も宗像の漁民にとっては神の島であったと思われる。
 宗像郡では、後期の群集墳はほぼその全地域に分布しているが、いまのところ大島や地島にはみることができない。

 これらの記述は、沖ノ島が遠隔化された他界であることを示しているように見える。沖ノ島への参拝の場合、大島の中津宮に詣でるのは、大島が遠隔化される以前の他界のひとつであることを示している。やはり、神でなくても人も、他界の航路を辿り直すのだ。群集墳は、大島以外に地島にも見出せないのは、地島も他界の島のひとつであることを示している。

 縄文期、沖ノ島の社務所前遺跡出土のニッポンアシカ遺存体は、晩期にその数を増加させている。縄文晩期には、すでに沖ノ島は、遠隔化された他界としてあった。そこでは、男子結社による成人儀礼が行なわれていたと考えることができる。

 沖ノ島が「おいわずの島」として禁忌感が強いのは、遠隔化された他界かつ原神社が置かれたことを示していると思える。

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